作品が自分の歌声を欲していないのなら、自分の声さえいらない──。この発想が象徴する「作品第一主義」が、通常のバンドであればある程度大事にされる「メンバー同士のケミストリー」といったものを重要視しない、くるり独自の風土を生み出した。
くるりはこの後、11年に田中佑司と吉田省念とファンファンが同時加入し、田中はメンバー間のコミュニケーションがうまくいかなかったためわずか半年で脱退、吉田はシンガーソングライターとして独立するため13年に抜けてしまうことになるのだが、普通のバンドであればキャリアそのものが崩れておかしくない異常な状況でも、くるりはほとんどダメージを受けず、飄々とバンド活動を維持し続けている。それは、演奏者は誰でも構わない、なんなら正式メンバーの鳴らす音が入っていなくても良いとする「作品第一主義」があるからだろう。
そういったプロセスで作品がつくられる以上、メンバーが流動的なのは必然ともいえるかもしれない。この「作品第一主義」は、森、クリストファー、とバンドの屋台骨であるドラマーが人間関係やバンド環境の問題で抜けざるを得なかった結果生まれたものなのか、そういったこととは関係なく生まれるべくして生まれた考えなのかは分からないが、くるりの音楽がオリジナルなもので、結成20年を迎えたいまでも懐メロバンドなどではなく、最新作を求められ続けるバンドである理由に、この「ブラック企業」疑惑すらもたれる人材の流動と、それを生み出す「作品第一主義」があるのは間違いなさそうだ。
(新田 樹)
最終更新:2018.10.18 04:02