森自身も、脱退にいたった理由についてこのように語っている。
「くるりにいた頃は、浮かれてたのかもしれないですね。もちろん自分なりには必死にやってましたけど、覚悟というか、戦っていくような感覚というのがあまりなくて。それまで音楽をやって楽しんできた、その延長線上でやっていたところはあったかもしれないです。そのことに気づいたのは、くるりを辞めて、いろんなバンドのサポートをやるようになってからなんですよ。仕事としてドラムをやるようになった時に、「あぁ、なるほど」と。当時はそんな気はさらさらなかったんですけど、やっぱりどこか2人に「のっかってた」ようなところがあったんだと思います」
その後、03年には、アメリカツアー中に出会ったクリストファー・マグワイアがドラムとして加入。しかし、翌年には早くも脱退してしまう。パワードラマーの彼とくるりの相性は良く、今でもこの時期のくるりがライブバンドとして最高の時期だったと評する声も多い。そんな優秀なドラマーがわずか1年でいなくなってしまったことに対し、ファンからの落胆は大きかった。岸田は当時のファンの反応についてこのように語っている。
「クリストファーが辞めた後、俺がまた自分勝手に辞めさせたみたいなことをすごくファンから言われて、ネットも炎上したりとかしたんですけど、クリストファーに関しては、これはほんまに、現実的にあれ以上は一緒にやることはできなかったんですよ」
クリストファー加入以降、ライブの出来が目に見えて向上し、順調に見えた活動の裏で、もともと私生活が破天荒気味だったクリストファーは、慣れない日本での生活が原因で精神的な安定を崩していた。そのエピソードのひとつを佐藤はこう語る。
「ライブが終わったら目立つように学ランを着て、夜の街を『おれはくるりだ!』って言いながら、女の子を探して徘徊してましたから。僕も何度か付き合わされて、ほんとしんどかった(笑)」
こういったことが積み重なった結果、初めての武道館公演を成功させた後、バンドはクリストファーに解雇を言い渡すことになるのだが、その時を岸田はこう振り返る。
「今になってみると、『もうちょっと上手くやれたかもしれないな』という後悔はあるんですよ。慣れへん日本に海渡って来てまで『一緒にやりたい』って言ってくれた人に、俺らはどれだけのことができたのかって。やっぱり一人で日本にいきなり来たら寂しいですよ。そこを、クリストファーが本当にひどい状態になる前に、もうちょっとコミュニケーションとれてたらっていう思いはあります。バンドにいた時間は短かったけど、彼が脱退した時は、もしかしたらもっくんが抜けたとき以上にファンをがっかりさせてしまったような気がします」
その後、固定のドラマーこそいないものの、リリースやライブを重ね、好調に見えたくるりから、またも離脱者が出る。06年の末に今度は大村が脱退するのだ。