次々と判明する“殉愛疑惑”。そして開始された高倉邸解体と愛した墓地の撤去。高倉邸解体を報じた「週刊新潮」6月2日号によれば、それは首を傾げるようなものだという。
「健さんはこの家に大変な思い入れがありました。江利チエミとかつて暮らした場所だったからです」(小田家の事情をよく知る関係者のコメント、「週刊新潮」より)
この場所は江利と結婚し新居を構えた土地であり、70年には家屋が火事で全焼したが、建て直した上で江利と離婚後も住み続けた場所だ。それだけではなく、邸宅からほど近い場所に江利が祀られた寺があり、そこには江利を模した女性像が「あたかも江利と健さんが見つめ合うかのように」高倉邸を向いて立っているのだという。
「養女は、そういった2人の関係を快く思っていなかったのかもしれません。だから、更地にして人手に渡す可能性もあるでしょう」(別の関係者のコメント、「週刊新潮」より)
Aさんにとっても高倉と共に過ごした思い出の場所であるはずなのだが、しかし3周忌を待たずしての解体。墓地の更地にしても同様だ。
「墓地を購入した健さんは、江利との間の水子を祀る地蔵を置いた。こだわって選んだ八光石でできた像は高さ1メートル。その奥には小さな墓石を建て、本名と役者名を組み合わせた『小田健史』の名ならびに『小田家先祖各霊菩堤』と刻んでいた」(「週刊新潮」6月16日号より)
しかもAさんが死後も高倉を“囲い込み”、遺骨も納骨されていないため、この墓地は生前高倉の親しい関係者たちが唯一高倉を偲ぶ場所でもあった。それが更地にされ、既に売却されている可能性さえあるという。
次々と湧き上がるAさんの“疑惑の行動”を高倉は草葉の陰からどんな思いでみているのだろうか。
(林グンマ)
最終更新:2017.12.05 10:04