高倉健『旅の途中で』(新潮社)
高倉健の養女を巡る“殉愛疑惑”がますますアヤしくなってきた。今年5月23日、高倉健が終生暮らした東京世田谷にある敷地260坪の豪邸の解体工事が開始されたのだ。
それだけでない。同時に1972年、生前に高倉が購入し、しばしば線香をあげに通った鎌倉霊園の墓石と、そこに置かれた水子地蔵が撤去され更地になっているという。その水子地蔵は63年、高倉が元妻の故・江利チエミとの間に授かったものの、江利が妊娠高血圧症候群のために中絶を余儀なくされた胎児を祀った地蔵だ。
高倉が愛した“聖地”が相次いで消滅してしまう。もちろんこの解体工事や墓地を更地にしたのは問題の養女Aさんだ。
高倉が多くの人々に惜しまれつつ逝去したのは2014年11月10日のことだが、その直後、世間の注目を集めたのが養女Aさんの存在だった。高倉の死の1年半ほど前に極秘に入籍していたAさんの存在は、近親者や近しい関係者にさえほとんど知らされていなかったことに加え、高倉の死後にはいくつもの不可解な行動に出たことで関係者にも不信感を抱かせるようになったのだ。
はじまりは、死後しばらく、九州に住む妹と甥や姪に当たる親族にその死を伝えず、密葬に参加させなかったことだ。
Aさんが選んだ5人の密葬出席者は、高倉と絶縁したはずの岡田裕介・東映会長が含まれていたり、逆に弟分だった小林稔侍が呼ばれていないなど、関係者からすると、首をひねりたくなるようなものだった。
さらに密葬の席でAさんは出席者たちに「お骨も持ち帰りいだきたい」と提案、また前述の鎌倉霊園に高倉の遺骨が納骨されることなく、Aさんが散骨を主張していることや霊園の管理費滞納も判明している。
こうした状況にAさんの存在は「やしきたかじんの『殉愛』騒動と同じではないか」との疑惑の声が次第に強くなっていったのも当然のことだった。
さらに高倉の死後1年半が経った今年5月には遂に高倉の実妹が「週刊新潮」(新潮社)5月19日号のインタビューに応じ、Aさんが主張する“全て生前の高倉の遺志”に対して反証し、不信感さえ露わにした。