また、敏子さんは、養女が高倉の遺志として、墓に入れず散骨するといっていることにも不信感を抱いている。高倉は生前の1972年に神奈川県の鎌倉霊園に墓地を購入しており、ここに入るはずだったというのだ。
「鎌倉霊園にはチーちゃん(71年に離婚した江利チエミ)との間の“水子”が祀られています。お墓を買ったときに、『すごくいいところにあるから。鎌倉に来たら連れて行く』と電話がありました。(略)折に触れて線香をあげに出向いていましたし、自分自身も亡くなればそこへ入るつもりで、知人と墓石を見て回っていたほど。そうやってしてきた人が、散骨なんて言うわけがありませんよ」
入院中には近しい関係者に見舞いを拒否し、その死を実妹にも知らせず、戒名をつけず、ひたすら荼毘にふすことを急がせる。そして生前愛した霊園に遺骨を納めることなく散骨――。これら全てが高倉の“遺志”だと養女は主張しているという。
また、この記事は、高倉の姪の攝子さんが秘書や専務から周辺から訊いた話を証言しているが、健さんが息を引き取った前後、通夜、葬儀の異常な状況が明かされている。
死の前日、病室から“シューシュー”という音が漏れ聞こえてきたが、養女が誰も部屋の中へ入れさせなかったこと、病院から遺体を布で包んで持ち帰ったこと、蝋燭もお線香も拒否し、棺桶も「一番質素なものがいい」と言ったこと、葬儀でも写真ひとつ用意されていなかったことなど……。
確かに、こうした話をきいていると、殉愛騒動と非常に似たにおいを感じるのは事実だ。実際、ビジネスの面でも、養女が版権や著作権をすべて管理し、クローズドな状況にしているため、養女とパイプをもつ文藝春秋などのメディア以外、追悼企画がやりづらい状況が起きているとも聞く。
もちろん、養女側にも言い分はあるのかもしれない。しかし、本当に高倉健の遺志だとしても、生前、高倉を支え愛した近親者や関係者、そして多くのファンへの配慮が足らないことは否めない。高倉健は多くの人々にとっての“宝”なのだから。
(林グンマ)
最終更新:2016.05.12 12:47