『ルポ 母子避難――消されゆく原発事故被害者』(吉田千亜/岩波新書)
今年3月11日、福島第一原発事故から5年を迎える。だが苛烈な原発事故を由来とする様々な問題は解決の目処が立つどころか、いまだ拡大し続けている。
終息とはほど遠い福島原発の現状、進まない除染、未だ避難生活を続ける多くの人々、相次ぐ汚染水漏れ事故……。最近の世論調査でも「道筋が見えていない」が7割にものぼる復興の現状――。なかでも切実なのが子どもたちの被ばくだ。2月には事故後に甲状腺がんと診断された福島県の子どもたちが167人にのぼるという驚愕の発表がなされたが、親にとって子どもの被ばくは事故直後から現在まで最も切実なもののひとつだろう。事故直後から多くの親が幼い子どもたちを連れて“自主的”に“被爆地”から避難したが、それはただ生活の場が変わるというだけでなく、人間関係、経済、教育、そして家族そのものを崩壊させるものだった。
この問題を長期に渡り取材した『ルポ 母子避難――消されゆく原発事故被害者』(吉田千亜/岩波新書)では、避難指示を受けていない地域から自主避難した多くの家族の“分断”や“苦悩“が描かれている。
福島県いわき市で夫と当時3歳だった娘と暮らしていた尾川亜子さん(当時29歳 仮名)は地震直後津波から逃れるために高台の親戚宅に避難するが、そこは第一原発から30数キロの場所だった。一睡もしないで情報収集していた尾川さんだったが、他の家族との意識の乖離はここから始まっていた。
「親戚宅に集まっていた家族が当時抱いていたのは、「みんな一緒に居なくてはならない」という思いだった。一方で尾川さんは「何かがおかしい」「一秒でもはやく遠くへ行きたい」という焦りが募っていったが、夫と娘を連れて親戚宅を出られる雰囲気ではなかった」
そして12日午後3時36分、一号機が爆発した。
「尾川さんは、何度も「逃げたい!」と叫びそうになるのを抑えた。しかしテレビの爆発映像を観ている家族に危機感はなく、政府からの避難指示もなかった」
事故直後から人々の危機感に差が生じていたことが分かる。報道を信じる高齢者の義父母、一方でネットでも情報を収拾し母親として危機感を募らせていく尾川さん。しかも「嫁」という立場で自分たちだけ逃げられないという葛藤があった。