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つんく♂のハロプロ降板の真相! 病気のせいではなく所属事務所アップフロント会長に切り捨てられていた

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「つんく♂オフィシャルサイト」より


 先日、つんく♂が喉頭癌の闘病エッセイ『だから、生きる。』(新潮社)のなかで、実はすでにハロー!プロジェクトの総合プロデューサーを降りていた事実を告白し話題となっている。

 各ネットニュースなどでは〈最初に喉頭がんが見つかったのは2014年2月のことで、当時は発覚前だったが、つんく♂さんはこの頃から喉の不調を強く感じていた。そのため、会長が休養を取ることを勧めたという〉(2015年9月9日「J-CASTニュース」)や、〈当時は喉頭がんの発覚前だったが、のどの調子が悪かったため、会長が休養を取ることを勧めた〉(15年9月9日「産経ニュース」)など、いかにもアップフロントグループ会長の山崎直樹氏がつんく♂の体調を慮って進退を提言したかのように書かれているが、実情はまったく違うようだ。

 つんく♂は、体調と関係なく、山崎会長に「切られた」可能性が高い。

 まず、先に引用した両ニュースも書いているが、山崎会長が進退に関する話を切り出したのは、まだ喉の不調が癌であると発覚する前。正確には13年の秋のことだったという(癌が発覚するのは14年2月)。

 13年の秋というと、振り返ってみれば、つんく♂自身はシャ乱Q25周年記念ライブツアーを成功させ、プロデュースワークでもモーニング娘。は両A面シングル「わがまま 気のまま 愛のジョーク/愛の軍団」で現在に連なるEDM路線を完全に確立、℃-uteは初の日本武道館公演を成功させるなど、「ハロプロ復権」の狼煙が上がっている時期であった。確かに、彼の喉の不調はファンの間でも噂されてはいたものの、とても「総合プロデューサーを降りたらどうか」という提案がなされるような時期だとは思えない。

 実際、つんく♂は山崎会長から提案を受けたとき激しく抵抗している。長くなるが、『だから、生きる。』のなかで、そのときの心情を赤裸々に告白しているので引いてみたい。

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