術後の痛みで食事も喉を通らず、体重が10キロも落ちてしまうような極限状態でもこういった事務仕事をしていたということは、13年秋になされた「提案」という名の首切り宣告から1年ほどの抵抗ののち、悪化した体調のドサクサに紛れて、ついに押し切られてしまったということではないだろうか。
実は、つんく♂の癌は14年3月から受けた放射線治療が功を奏し、同年9月には一度完全寛解の発表までしている。それにも関わらず、また一気に再発し、声帯の摘出という、歌手にとって最悪の展開にまで発展してしまった背景には、山崎会長との確執によるストレスも原因のひとつとしてあったのではなかろうか。
『だから、生きる。』で、つんく♂は山崎会長の決断について、殊勝にも以下のように書き綴っているが、言外に山崎会長に対する微妙な感情がにじみ出ている。
〈今までいろんな場面で「そんなアホな!」「それだけは絶対にないで~」というような指示がたくさんあったが、結果、こうやって進んでこられたのだから、本当に感謝している。
だからきっと今回の判断にも、何かヒントが隠されているんだろうと思う
ただ、僕から総合プロデューサーの役目を投げ出したわけでも、曲が書けないほど弱っているわけでも、ハロー!プロジェクトが嫌になったわけでもないことはわかってもらいたい。今でもハロプロを心から愛してる〉
入院中の彼を支えていたのは、そのときオファーをもらっていた、たった二つの仕事、ニンテンドー3DS用ソフト『リズム天国 ザ・ベスト+』のプロデュースと、自身の母校である近畿大学の入学式のプロデュース。そして、なによりも、三人の子どもと妻であったという。
先日、NHKで放送されたドキュメンタリー『NEXT 未来のために「“一回生”つんく♂ 絶望からの再出発」』のなかで、「これからどんな曲を作っていきたい?」という質問に対し、「一曲が世の中を変えるとか、そんな大それた事を望むってことでもないのですが、我が子達も生きていくこの世を良きものにするには何かを考えてはいたいです」と答えていたつんく♂。
死を覚悟せえざるをえないような病を乗り越え、いま見事復活を果たしつつある彼は今後どのような作品を我々に届けてくれるのだろうか。新たな人生経験を積み、深みを増したつんく♂の次なる作品を期待して待ちたい。
(新田 樹)
最終更新:2015.09.26 11:20