しかし、どうやら昭和の女性は、おばちゃんでも崇めたくなるオマ◯コをもっていたのだという。塚本氏は、うっとりと「昭和の女たちは、セックスの匂いがした」と回想する。
「汗や唾液、愛液といった『体液』の匂いのことだ。たとえば農家の女などは真夏の炎天下、竹で結った大きな籠をしょって、額や首筋に汗びっしょりかきながら、田んぼや畑で働いていた。(中略)そういう農家の女と畦道ですれ違うたび、なんとも言えない気恥ずかしさとトキメキを覚えた」
男女問わず、衛生に神経質すぎてボディミストや柔軟剤を多用する現代人には信じられないかもしれないが、「女の汗の匂いは男のそれとはまた違い、どこかほんのちょっと甘酸っぱいような、とても欲情そそる匂い」なのだと塚本氏は言う。いや、汗から酸っぱい匂いがするのは男も女もなく、エクリン腺から出ているからなだけだと思うが。
このように昭和の匂いフェチである塚本氏だから、当然のように“アソコの匂い”にもうるさい。現在は行為前にシャワーを浴びるのは常識の域だろうが、昭和は「たらいの水や川でさっと洗い、手ぬぐいで水滴を拭く程度」だったことから「当然、“性器臭さ”は残る」。だが、その匂いこそ「セックスした仲でしか知らない、特別な匂い、味」だったという。なるほど、知り合いの風俗嬢に聞くところの「おっさんほど“洗っていないマ◯コ”にこだわる」現象には、そういった背景があったのか。
塚本氏によると、体臭だけではなく、「昭和」の生活スタイルそのものが淫靡な性の匂いを放っていた、という。いまの生活スタイルは核家族が主流であるのと違い、かつてはたいてい大家族で、何世代もが一緒に暮らしていた。つまり、家族全員が留守になる瞬間はないに等しく、家でセックスする場所がなかった。となると、ヤル場所はひとつ。そう、野外だ。塚本氏も、当時の思い出を語る。
「近くに住む新婚夫婦が毎日、夕暮れ時になると、2人で裏山に向かうのである。私と兄弟は山に向かう夫婦を見かけると、あとを追いかけたものである。(中略)2人がヤッていたと思われる場所に新聞紙が丸めて捨ててあり、中から何ヶ月分もの使用済みコンドームが山ほど出てきて、なんとも猥褻な気持ちになったものだ」
数年後、塚本氏も念願の山中セックスを体験するのだが、そのとき女性のいつも以上の乱れっぷりを実感したらしい。そこで塚本氏は現代カップルにも「自然と一体化した気分になれる」という野外交尾を楽しみ、動物の本能を取り戻すことを推奨するのだが、ここまでいくともはや変態である。