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選考委員の藁人形つくった! 芥川賞落選・小谷野敦の恨みツイートがすごい

 とはいえ小谷野がここまで怒りを露わにするのは、単に落選したからというだけではないようだ。

「正確を期すが、とれなかったのはまだいい。小野、というのと、あのバカな講評、最初に落とされたというのが納得がいかん。」

 そう、実は小谷野の作品、候補5作中一番最初に落選してしまったのだ。小谷野の「ヌエのいた家」は自身の父親の死を描いた私小説だが、選考委員で作家の小川洋子は会見で「「ヌエのいた家」については、嫌いなはずの父親が実はそう嫌いでもないんじゃないか、というような面が現れて面白いんじゃないかという意見も出たんですが、語り手の病んでいるところ・アンバランスなところへの意識が足りないということで、あまり票が入りませんでした。」と落選理由を説明した。

 この評価に小谷野は猛反論する。

「なんであんな父親を憎むのを反省せにゃいかんのだ、ボケナスども。」
「なんで「実は父親が好きだ」にならないといけないんだ?お前らは儒教徒か。」
「俺は「悲望」の時からずっと、自己批評がないとか言われ続けているんだが、読んでいて批評的に読めたらそれは批評があるんだってことすら分からないんだなあのボケナスどもは。」
「「この時の私は愚かであった」とか書いてないと意識してないとでも思うんだろうか。小学生並だよな。」

 たしかに「ヌエのいた家」における、父親への嫌悪や悪口の書きっぷり、主人公はバランスを欠いている。しかしその過剰さは、それゆえにある意味戯画化され笑いを誘うものとなっており、小谷野の言い分もわからなくはない。

「石原さんがいなくなって悪くなったな」という指摘も、あながち的外れではない。石原慎太郎がいなくなってからの芥川賞選考について、メッタ斬りの豊崎由美や大森望など、よくなったと評価する人も少なくないが、しかし、予定調和的というか「この人だろうな」という出版界の空気を読んだ結果に落ち着いてしまっている面もある。小谷野は、出版社側の売りたい意図を汲んで褒める書評や批評ばかりになってしまっていると近年の文芸状況を常々批判しているが、芥川賞も例外ではないだろう。(ただ、石原のいなかった前回、前々回の選考については小谷野も高く評価していたが……)

 しかし、さすがに言い過ぎたと思ったのか、あるいは昂揚してのことなのか、「龍胆寺雄みたいになってきたな。」というツイートも。

 龍胆寺雄とは、昭和初期のモダニズム文学の旗手として華々しく登場しながら、文壇の派閥性を非難する小説「M・子への遺書」を書き、文壇を追放された作家。「M・子への遺書」で龍胆寺は、奇しくも芥川賞の創設者である菊池寛や文藝春秋を実名で激しく攻撃している。

 ここは小谷野センセイも、構想中とツイートしていた「選考委員たちが乗った飛行機が無人島に不時着する」小説をぜひ完成させていただきたい。センセイの怖いもの知らずの毒舌と粘着質と教養をもってすれば、龍胆寺の「M・子への遺書」や筒井康隆の『大いなる助走』にも負けない刺激的な作品が生まれることはまちがいないだろう。ただし、おもしろければおもしろいほど、芥川賞は遠のくかもしれないが……。
(酒井まど)

最終更新:2017.12.09 05:08

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