しかし、一方では、自由ゆえの問題も起きている。本書では触れていないが、一昨年、麻布では新聞等にも報じられたある事件が起きた。それは13年10月5日に予定されていた運動会が「生徒の不祥事」によって中止になったことだ。「麻布論報公式ブログ」によると体育祭の準備をする実行委員会で不祥事が起き、委員会に開催させることができなくなったこと、また6年前にも委員長ら幹部の飲酒が発覚し、やはり運動会が中止されたことも記されている。
この一件を記事にしたネットニュースによると、実行委員の一部が無断でプールに侵入したり、地下柔道場で「吐瀉物の鍋」を作って生徒に食べさせたり、外の店で大声を出し、それを撮影するといった迷惑行為もあったという。また過去には運動会の予算をごまかして、居酒屋宴会をしたなどということも報じられている。
筆者などはこうした話を聞くと、エリートらしからぬ奔放ぶりに頼もしい感じさえするが、しかし、世間の反応はそうでもないらしい。最近は、麻布の校風を不安視する声も大きくなっているという。
同書もこう指摘する。
「麻布では(学校)説明会で進学の実績について説明しない。私はユニークで飾らないスタイルに感銘を受けたが、大学進学率に関心が高い親の中には不満をもつ人がいても無理はない」
麻布の先生は教育に熱心なのかわからない、自由すぎて歯止めがかからなそう、などの声もあり、また浪人率の高さも麻布が避けられる理由と指摘する学習塾関係者もいるという。保守化し、管理を求める最近の親にとって「麻布の自由さはマイナス」とさえ見られているのだ。
実際、麻布の人気は確実に落ちている。2012年には入試の出願者が前年より161人も減り、大きな衝撃が走った。偏差値も徐々に低下し、今や同じ御三家の開成に大きく引き離されている。
同書は麻布の精神を「自由に生きよ」だと結論づけたが、その麻布の校風は今の時代、どこまで守ることができるのだろうか。画一的な詰め込み教育で東大合格率だけをあげようとする新興進学校が台頭している中で、ひとつくらい「変」で「馬鹿」で「自由」な学校があってもいいような気がするのだが……。
(林グンマ)
最終更新:2018.10.18 05:25