「g2」(講談社)連載中の「袴田巖 塀の中の半世紀」によると、袴田さんは死刑確定後の93年、姉の秀子さんとの面会時に「1000メートルもある猿が電波を送るので顔が変わる。血圧なども変わる。人間は死なないが、電波で猿に吸収されしなびていく。(略)神様がくれた人間の美しい顔を欲しいので、猿の霊が電波で人間の顔を猿にする」など不可解なことを言うようになったうえ、面会に訪れても「霊と話をするので忙しい」と断るようになったという。
秀子さんは98年暮れ、当時、死刑廃止問題に取り組んでいた社民党衆議院議員の保坂展人に助けを求め、法務省に問い合わせてもらった。矯正局長はこのとき「以前は米粒を一粒ひとつぶ洗って食べるということもあったそうですが、現在はそういう行動もなくなったそうです」と告げ「精神的に安定しています」とも言ったという。99年、袴田さんの状態を診た医師は「死刑を前提とした長期間の拘束による『拘禁反応』との見方を示した」。
長期間のストレスフルな勾留生活で袴田さんはぼろぼろになっていた。真犯人は、長年無実の罪で塀の中にいた袴田さんのことをどう思っていただろう。
(高橋ユキ)
最終更新:2017.12.09 12:03