山本府議の問題で人々をおののかせたのは、問題発覚当初、「生徒が侮辱的なメッセージを送ってきたから怒っただけで正当な行為だ」などと言い切っていたこと。その後は頭を丸めたり(この行動も安直すぎて驚くが)、中学生に謝罪の弁を述べたが、それでも問題の発端となった産経新聞への情報提供者を“誤った情報で名誉を傷つけられた”として容疑者不詳のまま刑事告訴するなど、世間がどの部分(中学生にLINEでキレる、ということ)に困惑しているのか、まったく気付いている様子がない。著者はキモさに無自覚であることを、「このギャップはある種のホラーではないでしょうか」と述べているが、山本府議にも同種のホラー感が漂っている。
ただ、覚えておかなくてはいけないのは、「キモいという言葉には相当な破壊力があります」(本書より)ということだ。公人たる山本府議はこの言葉を受けとめるに値すると思うが、「面と向かって「お前、キモいよ」と言ったとしたら、その発言は100パーセント、相手を傷つけます」という本書の指摘を、ついつい口癖のように「キモい」と言いがちな人は胸にとめておきたい。
「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言われるが、自分も、気付かぬうちに他人にはキモいと思われているかもしれない。経験を語っているつもりが、他人には自慢話に聞こえている。最新ファッションに身を包んで自分はイケてると思ってるつもりが、そのドヤ感が他人には勘違い野郎だと思われている──キモさのハードルが低いこの社会では、ささいなことでもキモい奴認定を受けてしまう可能性がとても高い。大事なのは、他人を「キモい」と言ってしまう自分を自己正当化せず、自分もまたキモい部分があるのだと自覚しながら生きていくことなのかもしれない。
「生きることとキモさを発散することは同じではないだろうか」
著者のこの一言を、いつも忘れたくはないものだ。
(サニーうどん)
最終更新:2014.08.28 02:21