いちおう世の中の空気を読んで「イエローカード以上」とは言いつつも、「レッドカード未満」、つまり、番組を降りるほどではないということを強調。そして「もう許してやってくれへんか」「そこまで悪い奴じゃないやん」とまるで岡村に同情しかばうかのような姿勢を見せたのだ。
しかし、この日の松本が酷かったのはそのことではない。岡村の発言内容に踏み込んで自身の具体的な見解を語ることは一切せず、自分にもある「女性蔑視思想」の総括から完全に逃げてしまったことだ。
あらためて指摘しておくが、松本の女性をモノとしか見ない女性蔑視、ミソジニー体質は、岡村以上と言えるもので、これまでもさんざん女性蔑視発言を連発してきた。
たとえばこのコロナ禍をめぐっても、今回の岡村発言にも通じるような、水商売や性風俗業に従事する女性たちを切り捨てる差別発言を松本はしている。
4月5日放送の『ワイドナショー』で、コロナ対策により仕事を休まざるを得なくなった人への休業補償で、政府がその対象から「接待飲食業」や「性風俗業」の従事者らを当初排除しようとしていた問題について取り扱ったときのこと。松本は、この差別的な弱者切り捨て政策に同調し、こう吐き捨てたのだ。
「水商売のホステスさんが仕事休んだからといって、普段のホステスさんがもらっている給料を、われわれの税金で、俺はごめん、払いたくはないわ」
自分たちが過去にさんざんこういう店を利用してきたのに、危機的状況になると、途端に“汚い商売”扱いして切り捨てる──。松本のなかでは結局、ホステスや性風俗に従事しているような女性は“モノ”にすぎず、それぞれに意思や生活事情があることなんてまったく想像の外なのだ。
もうひとつ、松本の体質をよく表しているのが、セクハラ問題へのスタンスだ。『ワイドナショー』でも、セクハラ事件を扱うと必ずと言っていいほど、セクハラ加害者をかばい、被害者のほうを非難してきた。
たとえば財務省の福田淳一・前事務次官のセクハラ問題を扱った際も、あろうことか「ハニートラップ」説を唱えて、女性側に責任があるかのごとくこう語った。
「テレ朝さんは、いやいやそれは違うセクハラがすべてなんだって言うんだけど、でもそこに行かせたんだったら、これはパワハラじゃないのか、ということになってくると僕は思うんですね。でもテレ朝さんが『いやパワハラじゃない』と言うんだったら、女性は自ら前のめりにこの1年間、取材をしてきたのか。そうなったらなったで、これはハニトラじゃないのか、ってことになってくるんですよ」
「どれも全部一本じゃないと僕は思うんですよね。ですので、僕の見解としましては、セクハラ6、パワハラ3、ハニトラ1でどうですか?」(2018年4月22日放送)
こういった女性蔑視的な発想は、2018年4月15日放送の回でも見てとれた。この放送回では、元NHKの登坂淳一アナウンサーを出演させセクハラ・パワハラ問題について釈明させたのだが、松本はゲストコメンテーターとして出演していた芸人のいとうあさことこんな会話を繰り広げた。
松本「たとえば、俺がいとうあさこと飲んでてさ、急にブッチューってキスしたら、それはセクハラになる?」
いとう「超うれしい!」
松本「そう、そう、ね! でもそれがまた俺のパワハラやって言う人もいるから。それは『いとうあさこ、そう言うしかなかったよね』って」
芸能界、なかでも芸人の世界の圧倒的な上下関係を考えれば、「そう言うしかない」だろうが、こうして力関係で女の声を奪い、パワハラ、セクハラ行為を正当化し、それを笑い話にしてきたのだ。