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マツコ・デラックスは昔、もっと過激だった! 朝日新聞に「闘う意志がない」と説教も

〈以前は、世の中に向かって刀を振り回すこと、毒舌を吐くことが自分の役割だと思っていた。でも、「テレビが自分の居場所だ」と思うようになって、刀を収めることができるようになったの〉
〈言いたいことだけ言っても、自分の居場所を作れないと思ったの。だから、魂を売ったと思われてもいいの。「マイノリティの意識さえ失っていなければいい」と分かったの。(中略)テレビがものすごく叩かれているメディアだってことは分かっているけど、居場所を作ってくれたという恩義があるから、協力できる力が自分にあるときは、協力しようと思っているのよ〉

 居心地の悪さを訴えていた過去とはちがい、いまはテレビこそが自分の居場所である、とマツコは言う。〈自分が考えていること、しゃべりたいことの半分も主張できてない〉ともわかっているが、それも仕方がない。こうして吹っ切れたマツコは、同書のなかで自身を〈要するに、電波芸者なの。お呼びがかかったら、お酌して、お客さんを喜ばせて、またお呼びがかかるのを待つの。別名、マスメディアの犬ね〉とさえ言い切っている。

 電波芸者、マスメディアの犬。こんなふうに自認して生きるのは、赤尾敏の行動力を称え、批評精神をたぎらせていたかつてのマツコから見て屈辱的ではないのか。そう感じたりもするが、しかし、この“自己批評”にこそ、マツコの強みがあるのではないだろうか。

「非生産的」「最下層の人間」と自分を貶めながらどんどんと支持を集め、そして、かつて「人から思考を奪う」と攻撃していた電通や博報堂が仕切るトヨタやソフトバンクのCMに出演するまでになった。それでいて、マツコがほとんど批判されないのは、自分の立ち位置を注意深く観察しながら、先回りして自分の手で自分を批評しているからだろう。

 そう考えると、マツコという人はとても戦略的で器用な人なのかもしれない。しかも、その器用さを気付かせない。マツコが番組やメディアによって毒の度合いをコントロールしていることに気付いている視聴者がいったいどれだけいるだろうか。

 マツコ自身は〈どっちにしろ、いまの人気なんか一過性よ。いつかハシゴを外されることは目に見えている〉と語っているが、きっとそんなことはないはずだ。願わくば、また昔のようにメディアや言論状況に鋭く切り込んでほしいが、器用で自分の立ち位置がわかっているマツコがそれをやることはないだろう。
(水井多賀子)

最終更新:2017.12.13 09:40

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