米「TIMES」誌も報じたBTSグラミー賞ノミネートの意義
今回のグラミー賞をめぐる報道にネトウヨだけではない多くの人が「受賞を逃したBTSのことを報じるのはおかしい」「日本人の受賞を大きく扱え」と噛みついたのも、こうした日本社会の歪んだナショナリズムの延長線上に起きているものと言っていいだろう。
実際、こうした意見には音楽へのリスペクトはもちろん、国際社会の価値観の変化やグラミー賞の現状に対する認識がまったくない。
グラミー賞は創設以来、とくに主要部門での受賞者を、圧倒的に白人男性アーティストが占めており、その多様性の欠如が近年大きな問題になっている。アフリカ系アーティストや女性アーティストたちが、その差別的構造に批判の声をあげてきた。
今回のグラミー賞で、アジア人のグループであるBTSが受賞すれば、そうした状況の変革への一歩となる可能性もあった。そういう意味では、「受賞を逃す」というニュースも、十分報じる価値があったのである。実際、米・「TIME」誌も、BTS受賞ならずの発表を受け「BTSはなぜグラミー賞の未来にとって重要なのか」という記事を配信、授賞式でのパフォーマンスについても「歴史に刻まれた」と評価するなど、海外メディアも報じている。
ところが、アートや音楽すら「日本スゴイ」という文脈でしかとらえられない人たちが、韓国に対する蔑視と妬みをむき出しに、BTSだけでなく、BTSを報じた日本のメディアまでを攻撃しているのだ。日本のナショナリズムは相当ヤバいところまで歪んでいるというしかない。
(本田コッペ)
最終更新:2021.03.18 11:01