安倍政権による事故責任の民主党押し付け、電力会社批判タブーの空気がそのまま映画に
これはおそらく、原作の出版から映画がつくられるまでの7年の間、安倍政権下で行われた原発事故をめぐる「スリカエ」に、映画の作り手が大きく影響されたからだろう。
福島第一原発事故が起きたしばらくの間は、菅直人や民主党政権の事故対応にも批判の声が上がっていたが、同時に原発の危険性を指摘する声や東京電力への批判も数多く聞かれていた。
ところが、第二次安倍政権が誕生すると、その空気は一変する。本サイトでも何度も指摘しているように、安倍首相は第一次政権で福島第一原発の津波対策を拒否した原発事故“最大の戦犯”であるにもかかわらず、その責任に頰被り。“悪夢の民主党政権”というワードをわめき、「菅首相が海水注入を止めた」など、さまざまなデマを流して、すべての原因を民主党政権に押し付けた。
そしてその一方で、側近の経産省原発族である今井尚哉首相秘書官(のちに補佐官を兼任)とともに、再び原発再稼働や原発の輸出を推進し始めた。
その結果、メディアは再び原発や東電批判をタブー視し、その代わりに当時の菅直人首相をはじめとする民主党政権だけをスケープゴートにする空気ができあがってしまったのである。
映画の『Fukushima50』のつくりは、意識的かどうかはともかく、この間のそうした変化を完全に反映したものといえるだろう。そして、そんな映画が地上波放送されるということは、福島第一原発事故の本当の責任隠し、問題のスリカエをさらに助長することにしかならない。
そうした危険性にかんがみて、本サイトは今回、『Fukushima50』の地上波放送にぶつけるかたちで、1本の記事を再録することにした。それはコロナ感染拡大で安倍政権の後手後手対応に批判が集まっていた最中の昨年3月に配信した、「安倍晋三の新型コロナ対応を見て『福島原発事故の菅直人の方がはるかにマシだった』の声が拡散…どっちが酷いか、徹底検証!」という記事だ。
改めて言っておくが、本サイトは菅直人を擁護するつもりはないし、その対応には前述したように問題点も多くあった。しかし、これを読めば、原発事故の本質が完全にスリカエられていること、そして、民主党政権の原発事故対応よりも、安倍政権のコロナ対応のほうがはるかに当事者意識の欠如したひどいものであったことがよくわかるはずだ。
(編集部)