寺田寅彦の「正しく怖がる」を理解せず、怖がる意見を抑圧する太田光はエリートパニック?
これはもう逆に過剰だろう。太田は「正しく怖がる」「正しく恐る」ということを繰り返し語っている。この「正しく怖がる」というのは、3.11の原発事故をめぐってもよく語られた言葉。原発事故のときも、今回のコロナでも、もっぱら、恐怖や不安を感じている他者に対し、「怖がりすぎ」であると非難する文脈で使われている。
しかし、この「正しく怖がる」は物理学者で随筆家の寺田寅彦の『小爆発二件』という文章に由来するものだが、実は寺田はこのように綴っている。
〈ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。〉
寺田は「怖がりすぎ」を批判しているのではなく、「恐がらなすぎ」も同様に安易だとした上で、「正当に怖がることは難しい」と書いているのだ
そういう意味では、コロナの危険性に関する科学に基づいた客観的事実を聞き入れず「怖がるな」と言う太田こそ、「正しく怖がること」がまったくできていないのである。
太田は自分が冷静ですべてをわかっているふうに高みに立って、「コロナはたいしたことない」と主張し続けているが、その太田の「恐がらなすぎ」な態度は冷静でも科学的でもない。むしろ、災害などに直面したときに、不安が強すぎて逆に「大丈夫」な根拠だけを探してしまう「正常性バイアス」、あるいは、大衆がパニックを起こすことを権力層が過剰に恐れ、それを抑え込もうと権力層のほうがパニックになる「エリートパニック」の典型というべきだろう。
自分一人そういう偏った考えに拘泥するのは勝手だが、太田はメディアに出ている立場だ。自分の発言が正当に怖がっている人を抑圧し、感染防止を妨害することにもう少し自覚的になるべきだろう。
(酒井まど)
最終更新:2021.01.31 01:26