“朝鮮人は日本人と同じ環境で働いていた”とする池上彰に読ませたい数々の証言、記録
池上彰の番組では、あたかも“朝鮮人たちは日本人と変わらぬ環境で働いていたが、後から過酷労働として歴史が塗り替えられた”というふうに誘導していたが、大きな間違いだ。実際、日本の炭鉱等で過酷な労働、差別的な環境に置かれたという当事者、あるいは朝鮮人と接していた日本人の証言は多く残っている。
たとえば1943年に14歳で連行され長崎の端島(通称、軍艦島)で労働させられた崔璋燮(チェ・チャンソプ)さんによれば、「端島がどんな所か何も話さず、無条件に良い所だと騙して、あの手この手で逃亡を防ぎながら連行した」という。市民団体によるインタビューのなかで、崔さんは端島の炭鉱での強制労働をこう語っている。
「汁かけ飯一杯食っただけで長時間働くのだから、みんな栄養失調状態になった。仕事が終わって、七メートルはある防波堤の上に毛布を敷いて体を休めていると、脚が痙攣を起こした。『俺、死にそうだ』という呻き声も聞こえた。しかも賃金をもらったことはない。私の記憶は確かだ」(長崎在日朝鮮人の人権を守る会・編『〔増補改訂版〕軍艦島に耳を澄ませば 端島に強制連行された朝鮮人・中国人の記憶』社会評論社)
また、長崎県・日鉄鉱業池野炭鉱の炭鉱婦だった女性は「炭坑労働者の朝鮮人は、『半島』『半島人』と呼ばれ、それはもうとてもかわいそうでした。今思い出しても、涙が出ます」と振り返っている。この女性は日本人とみられる。
「食べ物がなくて、腐ったみかんを拾って食べている朝鮮人を、憲兵がひどくなぐっているのを見たことがあります。どんなに体の具合が悪くても、休ませなかった。あるとき、四〇過ぎの朝鮮人労務者が、とても疲労がはげしくて『少し、上がらせてくれ』とたのんだが、聞き入られなかったので、風洞の中へ入った。それを見つけて引っぱられたが、一晩で顔の形相が一変してしまいました。それははげしいリンチを受けたからだと思います」((長崎在日朝鮮人の人権を守る会・編『原爆と朝鮮人 長崎県朝鮮人強制連行、強制労働実態報告書 第5集』))
念の為言っておくが、他にも、朝鮮人徴用工の「強制連行」や「強制労働」を証明する史料や証言は山ほどあるし、当局の担当者の証言や文書、あるいは日本の炭鉱での悪環境に耐えきれなくなった朝鮮人が暴動を起こしたという公的記録も残っている。一方、『反日種族主義』「自ら進んで日本行きを志願した」というような一部の話を全体に広げており、同書にまる乗っかりした池上彰の番組は“フェイク”と言わざるをえないだろう。