京都アニメーションの放火殺人事件に見せた「他者への想像力」と「包摂」という価値観
井口といえば、その美しい歌声とは裏腹に、ファンからはSNSやラジオ番組では“おふざけ愛されキャラ”として知られているが、実は戦争についてツイートするのははじめてのことではない。
たとえば、昨年の広島の原爆の日に〈平和ボケしながら、悲しみに目を向けながら生きてくよ。母ちゃん父ちゃんありがとう〉(2019年8月6日)とツイート。2018年の8月6日にはこのように綴っている。
〈過去に起きてしまった出来事を、そのうち資料や伝承でしか知ることは出来なくなっても、おれたちは想像することができる。それが自分や、自分の大切な人の身に降りかかるかもしれないって。だから「歴史は繰り返さない」し、繰り返そうとしてる奴がいたら間違いだよと言える井口でありたい。〉
井口が政治や社会問題にコミットすることは決して多くはないが、発言を丹念に追っていくと、その考え方が表層的なものではなく、深いところで、平和、包摂、多様性といった価値観を大事にしていることがよくわかる。
その典型が、2019年7月に起きた京都アニメーションの放火殺人事件のときのラジオだ。井口は、『オールナイトニッポン0(ZERO)』木曜日のパーソナリティを務めているが、昨年京アニの事件が起きた7月18日深夜の放送で、事件について語った。
「僕らも音楽をつくっていて、京都アニメーションで働いている方々もアニメをつくっている。同じ状況だったら、もしかしたら僕らにも降りかかっていた事件かもしれない」と同時代のクリエイターとして被害者たちに思いを寄せて語り出した井口だが、その後、繰り返し語ったのは、犯人への非難でなく、他者への想像力と包摂の重要性だった。
「犯人がどういう経緯でそこに至ったかはわからないけれども、俺はやっぱり、なんか、なんだろう。たとえば、電車で席を譲る、とかね、っていうことが、もしかしたら譲られた側にしたらたいしたことないかもしれないし、でもその人はものすごく救われるかもしれないし。逆に体が当たってしまって、舌打ちをされた。された側はその日、ものすごくネガティブな気持ちになるかもしれないし、ずっと絶望の淵にあった人がそれをされたら、もしかしたら、何かそれがきっかけで悪いほうに転じてしまうかもしれないし。ていう、なんだろう、俺が今日席を譲って、それが巡り巡って、もっとこう遠い人、その人じゃなくて、その人を取り巻く環境の人のもっと外側に届いてしまうかもしれないなあとか。やさしさが届いてくれるかもしれないし」
「もしかしたら、できたことがあるかもしれないって思うのは、今日の事件に対してね、すごい驕りだとは思うんだけど。でもなんか、明日を生きるとか、そうしていくうえで、できることってあるんじゃないかなって俺はすごい思ったので。こうしてほしいってわけではないんだけど、みなさんに」
また井口の話を聞いたリスナーからの「多様性を認めることが大事なんじゃないか」というメールに答える形で、こう語った。
「やっぱり人間の尊いところって想像ができるっていうことだから、人の気持ちがわかるとか、その人の置かれた状況は自分には起きたことないけどでも自分だったらこうだろうっていう考え方ができる生き物だから。すごく多様性を認めるっていうのはすごく大事なことだと思うし、それが平等につながると思うし、平和につながるのかなと、僕も常々そう思ってますね」