「万歳」は明治政府によって“つくられた「伝統」”と指摘
大澤真幸が、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を引きながら明治新政府が、ドイツ皇帝に大きな権限を与えたドイツを参考に、天皇の権限を利用した支配体制を構築したことを解説すると、中島岳志はこう応じた
「ナショナリズムというのは基本的には下からの現象ですね。民衆レベルから起きてくる。たとえばフランス革命はずっと続いてきた絶対王政をやめて、ルイ16世をギロチンにかけて、そして新しい共和制を始めた。しかし日本は江戸時代の封建制を終わらせるために、逆に天皇を持ってくることによって、上のリーダーたちが支配の原理として利用し始めるんですね」
また、大澤は「万歳」という言葉も、1889年2月11日の明治憲法発布の日に行われた「天皇陛下万歳」が始まりであることを指摘した。その際、VTRで昨年の新天皇即位の儀式における、安倍首相の「天皇陛下万歳」の模様を紹介。新天皇即位で当たり前のように繰り広げられた「万歳」も、明治政府が大日本帝国憲法ともに仕組んだ“つくられた「伝統」”であることを示唆していた。
本サイトでも何度も指摘しているように、保守派が声高に唱えている「日本の伝統」なるもののほとんどは、明治期に薩長の政治家が、国民統合のためにつくり上げた「架空の伝統」でしかない。しかし、昨年の改元や新天皇即位をめぐる報道でもそうだったように、テレビなど大マスコミではこの「つくられた日本の伝統」に対する批評的視点や議論はほとんど見られない。そんななか、地上波の番組でこのような議論がなされたことは、非常に意義深い。
さらに、評価したいのは稲垣吾郎の役割だ。ジャニーズ時代はこうした政治的な話題に絶対にコミットすることのなかった稲垣だが、この番組では積極的に議論に関わり、自らの実感を交えて率直にナショナリズムについて話した。
たとえば、上述の「つくられた伝統」が生み出す「ナショナリズム」について、稲垣は「遡りたくなっちゃうんですね。安心できるし。しかもヨーロッパの人が喜んでくれてるとか、そういうの大好きですもんね、日本人は」と、「日本スゴイ」の心理を分析していたし、ナショナリズムが欧州列強から植民地支配されていた被植民地で、独立をのぞむ機運から生まれたという議論に関連して、稲垣はこんなコメントもした。
稲垣「勉強になりますね。自分とも照らし合わせて考えられるようなことがあったりとか。ぼくなんかも個人的に言うと、大きな会社にいて、ちょっと独立して。でもそうなることによって、仲間意識がいつも以上に強くなってきたりとか、そういうのも通じてるのかなと思ったりとか」
安部アナ「心の動きが重なりますね」
ヤマザキ「植民地の話とも重なった気がする」
稲垣「独立戦争をしたわけではないんですけど(笑)」
そう、自身のジャニーズ事務所からの独立を、植民地からの独立になぞらえたのだ。この比喩が正しいかとどうかはともかく、こうした稲垣自身の実感や体験をまじえた言葉は、ナショナリズムへの欲望を身近な問題、自分ごととして考えさせる、大きな効果があった。
戦前の超国家主義に関するくだりでも、稲垣は「“世界に一つだけの花”じゃダメだったんですね?」と発言、愛国ナショナリズムが、SMAPの代表曲「世界に一つだけの花」が歌う個や多様性の尊重と対局にある価値観であることを端的に示してみせた。
さらに、稲垣は自ら「ネット右翼」という言葉を持ち出し、歪なナショナリズムの肥大化に対する批判にも積極に参加していた。