「元号」は「絆」という言葉の裏で進む日本社会の弱者排除も歌詞に
さらに、この「元号」は、平成後半から令和にかけてこの国で進んだグロテスクな現実にも根源的な問いかけをしている。
〈民衆(たみ)が口にする絆はどれだけ強いというのだろう?/弱い者達を見捨てた時の苦味は今も淀みのようだ/心から憎むもの そのすべてをあなたが取り去ったとしても/その後でまた僕らはどこからか弱者を探しだし弾く〉
東日本大震災以降、やたら使われるようになった「絆」という言葉。その裏で実際は弱者攻撃と排除が進んでいることにフォーカスしたのだ。そして「元号」は終わりのほうでこのように歌う。
〈かつて俺たちは人生の舵を預けていました/放棄していました/誰も誰かの人としてあるべき尊厳を/奪えはしないのだ 新しい元号の下で〉
GLAYは、以前からイラク戦争をテーマに、戦争で人を殺してしまった子どもの絶望を歌う「CHILDREN IN THE WAR」など社会問題にコミットした楽曲を発表したり、リーダーのTAKUROも社会問題へのコミットや政治発言を積極的に行ってきた。とくに所属していたバーニング系レーベル・事務所から独立して以降、以前よりはるかに自由な音楽活動を行うようになり、社会問題へのコミットも強めていた。
しかし、今は音楽が政治的な問題を扱うことへの圧力がどんどん強まり、ミュージシャンたちも権力の顔色を伺って国家の祝賀行事に率先して参加するような時代だ。しかも、改元以来、この国はメディアだけでなく、カルチャーシーンまでが令和という新元号を賞賛する空気一色になっている。GLAYはそんな中、まさに「元号」をキーワードに、日本社会や歴史の“負の本質”を鋭く深くえぐる楽曲を発表したのである。インディーズのパンクバンドならともかく、GLAYのようなメジャーバンドがここまで踏み込むというのは、相当な覚悟と勇気が必要だったはずだ。