野々村監督は「美しい日本の憲法をつくる鳥取県民の会」設立総会でも講演
例えば、2016年にはあの日本会議系建国記念日奉祝委員会主催で「私の強育論 ヌルいぞ日本!勇気と誇りを取り戻せ!」なる講演を行ったり、「月刊正論」(産業経済新聞社)で、安倍応援団として知られる登山家の野口健氏と対談し体罰肯定論を延々開陳したり。同じく「正論」では、右派のタニマチとして知られるイエローハット・鍵山秀三郎会長のトイレを素手で掃除する例の運動も推奨したうえ、男女差別丸出しのこんな持論を展開したこともある。
〈元来、男は狩猟に適し、女は子供を産み母乳で育てる。これは神が創造した性差である〉
〈野球に例えると、バット=攻撃=とミット=守り=である(笑)。犬もオスは片足を上げ(立ちション?)小用をし、メスは地に伏せる。縄張りを示す(マーキング)オスの攻撃的本性である〉
〈学校現場では、人権平等教育に熱心な先生方から良く注意を受けた。私は訳がわからず困惑したことを思い出す。やはり潜在的に、男は男らしく、女は女らしくありたいと願っていると信じたい〉
教育論だけではない。「正論」2015年3月号では、「戦後70年と朝日・慰安婦問題」と題する記事で、地元・島根県議会が2013年に出した「日本軍『慰安婦』問題への誠実な対応を求める意見書」の撤回に応じないことを批判する、歴史修正主義丸出しの主張を展開。
さらには、安倍首相のブレーンである八木秀次、日本会議政策委員の百地章とやはり「正論」の改憲座談会に出席したり、「美しい日本の憲法をつくる鳥取県民の会」設立総会で講演して、改憲の必要性を主張したこともある。
そういう意味では、野々村氏の存在は、いま、広がっているネトウヨ思想や歴史修正主義、改憲が、精神論と根性論を押し付け、体罰を肯定する時代錯誤の教育論や旧来の体育会的発想といかに地続きでるかという証明でもある。彼らは子どの個を否定し、組織ひいては国家への滅私奉公を迫る。その行き着くところは、「命」すら捧げることを強制した太平洋戦争中の日本の復活なのだ。
しかも、前述したように、恐ろしいのはその価値観が時代に取り残された老人の繰り言ではなく、むしろ安倍政権以降、どんどん存在感を増しつつある。気がついたら、野々村氏のような間抜けな意見が圧倒的な力をもち、失笑することすらできなくなるかもしれない。74年前までのこの国はそういう国だったのだから。
(編集部)
最終更新:2019.08.25 12:17