百田が「沖縄の歴史のデマを流していた」これだけの証拠
「噂の真相」と安倍首相の裁判については、せっかく百田センセイがもちだしてくれたので、別稿でたっぷりやるつもりだが、その前にまず、指摘しておかなければならないのは、百田もネトウヨ連中も「ド極右クソハゲの大嘘つき作家」という言葉のことばかり騒ぎ立て、問題の本質をごまかしていることだ。
ツイッターの論戦ではこの程度の罵倒の言葉がとびかうのは珍しくないし、「クソハゲ」はともかく、「作り話作家」「大嘘つき作家」、「沖縄の歴史のデマを流してたらしい」という部分は決して間違っていない。
百田は以前『SMAP×SMAP』(フジテレビ)に出演した際、「わたしも、ノンフィクション書くとき、平気でいっぱいウソ入れてます。ほんまにそのまま書いたら、おもろない」などと明言していたし、例の『殉愛』(幻冬舎)をめぐる裁判のなかでも、その「ウソ」がどんどん暴かれて、名誉毀損が確定している。
また、百田が「沖縄の歴史のデマを流していた」というのも、説明不要なほどの事実だ。だいたい、前述したように、村本とのバトルからして、百田の沖縄米軍基地に関する虚偽発言が発端なわけだが、これまでもこの作家は、沖縄に関する悪質なデマを散々ふりまいてきたからだ。
一例を挙げると、百田は2015年、「沖縄の二紙は潰さなあかん」発言をぶった自民党の若手勉強会で、米軍普天間基地について「もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」と発言。沖縄タイムスのインタビューでも「住んでいた場所に基地が引っ越してきたわけではない」と自説を繰り返した。
しかし、百田の主張は歴史的事実とまったく異なる。もともと、普天間基地が建設された場所は1925年の段階で1万人近い住民が住み、役場や小学校もあった。しかし、1945年4月に沖縄戦で上陸した米軍が住民を強制排除して占拠。本土決戦のため、普天間での滑走路建設に着手した。つまり、元々そこに住んでいた住民たちは強制的に土地を奪われたのだ。
しかも、終戦直前には住民は収容所に入れられ、終戦後に帰村が許されたときには、すでに基地に占拠され、自分の集落に立ち入ることができなかった住人が多くいた。それでやむをえず、米軍から割り当てられた周辺の土地に住み始めたのである。その歴史的経緯を無視して「基地ができた後に商売になると人が住み出した」などというのは明らかに悪質なデマだ。
つまり、ウーマン村本が指摘したように、百田が沖縄に関してさんざん悪質なデマを垂れ流してきた、というのは紛れもない事実なのである。
百田やネトウヨ連中はそれを村本に指摘されて、逆ギレしたあげく、話をすりかえているだけにすぎない。
村本はTwitterからの撤退を示唆したが、そんなことをする必要は全くない。これからも、この連中のデマを徹底的に糾弾してくれ、とエールを送っておきたい。
(編集部)
最終更新:2018.10.16 11:39