丸山眞男、志賀直哉、寺田寅彦も、差別デマによる朝鮮人虐殺を証言
あの政治学者・丸山眞男も、現在の新宿区で被災した。朝鮮人暴動の噂で近所の人たちが自警団をつくったが、それは〈今度の自警団はその役目をはたしているのではなく、朝鮮人なら誰でも来い。皆、打ちころしてやると言う気だからいけない〉と当時9歳の丸山は記している。さらにこう続けている。
〈朝せん人が、皆悪人ではない。その中、よいせん人がたくさん居る。それで、今度は朝せん人が、二百余名は打殺されている。その中悪いせん人は、ほんのわずかである。それで警察のほうではなおいそがしくなる。それであるから今度の自警団は、暴行を加えたことになる。しらべて見ると、中には、せん人をやたらに、打殺したので、警官が、しばろうとすると、それに、うってかかって、さんざんなぐった末、警察にまでおしこんで行くようならんぼう者もある。このようにするのなら、あってもなくても同じである。かえってない方がよいかもしれない。こんなことなら自警団をなくならせた方がよい。〉
「悪いせん人は、ほんのわずか」という記述に、「やっぱり暴動を起こした朝鮮人がいたんじゃないか」などと差別主義者が揚げ足を取りそうなので念のため言っておくが、これは「暴動を起こした朝鮮人もいた」という意味ではなく、前後の文脈からも明らかに「暴動など起こすはずがない朝鮮人が殺されている」という趣旨だろう。「仮に朝鮮人のなかに少し悪い人がいたとしても、朝鮮人みんなが悪人ではない。良い朝鮮人もたくさんいる」とは、わずか9歳で当時の空気のなか、差別に関してこれほど明晰な認識をもち得ていた丸山少年の聡明さには驚かされる。ネトウヨたちには丸山少年の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいところだが、いずれにしても重要なのは、朝鮮人という属性だけで「やたらに、打殺」するような場面があったという事実だ。
丸山だけでなく、朝鮮人虐殺をめぐる当時の社会状況を証言している著名人は少なくない。たとえば志賀直哉はこのように書いている。
〈軽井沢、日の暮れ。駅では乗客に氷の接待をしていた。東京では鮮人が爆弾を持って暴れ廻っているというような噂を聞く。が自分は信じなかった。
松井田で、兵隊二三人に野次馬十人余りで一人の鮮人を追いかけるのを見た。
「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいったが、余りに簡単過ぎた。今もそれは半信半疑だ。〉
デマであることを直感していた証言者もいる。物理学者で文人の寺田寅彦は、当時44歳で千駄木に住んでいた。地震発生翌日にはこのように書き残している。
〈[略]帰宅して見たら焼け出された浅草の親戚のものが十三人避難して来て居た。いずれも何一つ持出すひまもなく、昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て○○人の放火者が徘徊するから注意しろと云ったそうだ。井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえて来る。こんな場末の町へまでも荒らして歩く為には一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでも自分にはその話は信ぜられなかった。〉