『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(ちくま文庫)
関東大震災から95年を迎えた。毎年、この9月1日前後に本サイトでとりあげるのは、震災のなかで「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」「火をつけて回っている」などのデマにより、多くの朝鮮人たちが殺害された“朝鮮人虐殺”だ。
近年、この悲劇をなかったことにしようとする歴史修正主義が跋扈している。さらに、東京都の小池百合子知事は、昨年から朝鮮人犠牲者の追悼式典への追悼文を取りやめた。8月8日には、「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」の実行委員会が小池都知事に追悼の辞を求め、全国から集まった署名約8600筆を都の担当課長に手渡した。しかし、小池都知事は8月10日の記者会見で「個別の形での追悼文送付は控える」と述べ、昨年に続いて追悼文を送ることを拒否したのだ。
本サイトでも、昨年の9月1日、朝鮮人犠牲者追悼式典が行われた墨田区の都立横網町公園の模様をレポートしたが、同日には同公園内で在特会系市民団体が仕切る集会も行われていた。掲げられた日章旗に、「六千人虐殺は本当か! 日本人の名誉を守ろう!」との看板。集会には極右政党の関係者や区議会議員も出席し、「朝鮮人の暴動も火をつけてまわったのも事実」などとデマを丸呑みし、虐殺を正当化する言説をふりかざしていた。
ネットを中心に跋扈する「朝鮮人虐殺はなかった」なる虐殺否定論。ネット右翼たちは「暴動を起こした朝鮮人や中国人を自警団が取り押さえた。正当防衛だった」と嘯くが、暴動や放火がデマであったことは歴史学的にも確定している。たとえば当時、警察官僚として新聞を使いデマ拡散に加担した正力松太郎(元・読売新聞社主)も震災時のデマを認め、「警視庁当局として誠に面目なき次第」と反省の意を表している。
混乱時のデマに乗じた日本人は、無辜の朝鮮人たちを襲った。そこには単なる情報の混乱だけでなく、朝鮮人への差別感情が背景となっていたことが、当時を生きた人々の証言から浮かび上がってくる。書籍や日記等などから膨大な証言を集めた労作『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫・編/ちくま文庫)からいくつか紹介したい(なお、個別の出典は煩雑になるのを避けるために本稿では省略、仮名遣い等については同書に従う)。
横浜市寿高等小学校1年だった青柳近代さんは、地震の夜、〈朝鮮人がぴすとるをもって一五人ばかりきた〉との声をきいた。だが〈とうとう朝鮮人はこなかった〉。翌朝、道端には殺された朝鮮人の亡骸があった。
〈そのあした朝鮮人が殺されているというので、私は行ちゃんと二人で見に行った。すると道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによって見た。すると頭ははれて血みどろになってシャツは血でそまっていた。皆んなは竹の棒で頭をつついて「にくらしいやつだ、こいつがゆうべあばれたやつだ。」とさもにくにくしげにつばきをかけていってしまった。〉
麹町区富士見尋常小学校6年だった岩崎之隆さんはこう書いている。デマを真に受けた市井の人々が、朝鮮人を見つけ次第に襲ったことの証言だ。
〈その中に誰言うともなく、○○人が暴動を起こしたとの噂がぱっとたち、それで無くてさえびくびくしている人達は皆ふるえあがって、そして万一を気づかって多数の人が竹槍を持ったり、鉄棒を握ったり、すごいのになると出刃包丁を逆手に持って警戒をし始めた。而して○○人だと見ると寄ってたかってひどいめにあわせる。前の通りでも数人ひどいめにあわされたと言うことである。その暮れのものすごい有様は、今でも思いだすとぞっとする。〉