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W杯決勝乱入のプッシー・ライオットのプーチン批判に世界から支持の声! でも安倍に飼いならされた日本では…

毎日新聞までがプッシー・ライオットを「愚行」と糾弾

 しかし、〈愚行〉など片付ける前に、その主張にもきちんと耳を傾けるのが、民主主義国の当たり前の態度だろう。なぜなら、プッシー・ライオットの訴えていたことは、サッカーの試合よりもはるかに大事なことだからだ。そして、メディアまで事実上「報道の自由」を奪われているいまのロシアの状況を考えれば、国際社会に訴えかけるために、W杯という機会を使わざるをえないというのも十分理解できるからだ。

 だいたい「サッカーに政治をもち込むな」などと言うが、連中は人権や表現の自由がきちんと守られているから、音楽やスポーツを楽しめるということがわかっているのか。また、「サッカーに政治をもち込むな」と言うのなら、それはプッシー・ライオット側ではなく、むしろ権力者の側にこそ向けられるべき言葉だろう。今回のワールドカップロシア大会はプーチン大統領の威光をPRするための大会として確実に利用されたのだ。そして、人権を侵害するこうした圧政の国にW杯を開催させたFIFAにもその責任はおおいにある。

 実際、西側諸国では、メディアはこうした視点をきちんともって、プッシー・ライオットの主張を紹介、ロシアの圧政を批判し今回の拘束についても「不当逮捕」とする抗議の声があがっていた。

 16日、モスクワの裁判所は4人の乱入者に15日間の収監と、今後3年間スポーツ観戦のために会場に行くことを禁止すると言い渡した。試合に乱入したくらいで15日間の収監というのはとんでもないが、それでも、現在のロシアでこの処分で済んだのは、世界中からこうした指摘がなされたおかげだろう。

 ところが、日本ではいまもあいかわらず、プッシー・ライオットを批判する意見が大勢を占めているどころか、プッシー・ライオットを擁護する意見をかたっぱしから攻撃する動きまででてきている。

 しかし、考えてみれば、それも無理はないのかもしれない。日本はいま、安倍政権の強権支配によってロシアとそっくりな状況になってきているからだ。表面的には民主主義国家の体をとりながら、実際は報道の自由や人権を抑圧する動きが急速に進み、国民はその支配に飼いならされ、圧政にどんどん疑問を感じなくなっている。スポーツイベントの政治利用でナショナリズムを喚起され、不正や腐敗にフタをされてしまっているところもよく似ている。

 今回のW杯乱入をめぐる日本と海外の反応の差は、日本がこの先、ロシア化していくことのあらわれなのかもしれない。

最終更新:2018.07.21 01:50

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