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はあちゅう、詩織さん…セクハラ告発者バッシングがあまりに卑劣! 加害男性でなく「女性の落ち度」が非難される理不尽

男尊女卑にあまりに慣れすぎて、自分の加害性に気がつけない男性

〈セクシュアル・ハラスメントの事件を見ていて、どうしても気になるのは、加害者となる男性たちが、自分の置かれている立場をまったく理解していないことだ。つまり、立場の絡む人間関係ということに、いまだ何の配慮もないように見えることである。(中略)
 いや、それ以上に、男性としての優位性に慣れすぎてしまっていると思われることもある。
 だから平気で相手のことを無視したり、被害者女性が拒否することのできない弱い立場にあるということも、同じように忘れてしまっている。
 また、それが職場での立場が絡んだ上下関係であるにもかかわらず、そのことも忘れて、まったく個人的な男と女の関係であると錯覚して、プライベートな感情に浸りきって逸脱してしまうことが多いのである。そうした結果、相手に自分の意思を強要していることに、まるで気づかないという状況が生まれてしまう〉

 さらに金子氏は、このような加害者男性が異口同音に口にする言葉がある、という。「オンナとは気まぐれで、嘘つきで、男によって変わる」「彼女だって、そうなることを望んでいた」といった類いのレッテル貼りだ。だが、金子氏はあることに気づく。

〈事件の一つひとつに目を凝らして見ていると、ワンパターンなのは女性の方ではなく、むしろ「オンナとはそういうものなんだ」と括りたがっている男性にタイプが共通しているような気がする。
 そう言えば、男性たちによって描き出される女たちがワンパターンなのは、描き出す男性たちの表現がワンパターンだからなのではないだろうか。(中略)そうした男性たちが抱いている、自分たちに都合のいいワンパターンな女性像を相手の女性に重ね合わせようとしたり、そこに身勝手な望みを押しつけたりすることによって起こる事件こそが、セクハラ事件なのだ〉

 同じように、性犯罪の加害者に対して再犯防止プログラムを実践してきた精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳氏も、『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)のなかで、男性の身勝手な女性に対する認識について指摘をおこなっている。

 斎藤氏によれば、〈常習化した痴漢のあいだではある程度の普遍性があると思われるもの〉に、「多くの女性は痴漢されているうちに気持ちよくなる」「女性は無意識のうちに痴漢されたいという願望を持っている」「肌の露出が多い女性は、性欲が強い」「ちょっとぐらい触られたからといって、女性も何かが減るわけじゃない」といった捉え方があるという。斎藤氏はこうした捉え方を「認知の歪み」と呼ぶが、その根底にあるものとして〈その人がそれまでに培ってきた“女性観”〉、ひいては〈わが国における男尊女卑的な社会通念〉を挙げる。そのようななかで、痴漢のみならず、男女問わず社会の多くの人が「認知の歪み」を間接的に認めているのではないか、という。

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