セクハラ男性の言い訳「女性は拒否していなかった」を生む、男性の無自覚
〈加害意識のない加害者たちの意識を“男性問題”として俎上にあげない限り、問題の本質は見えてこないだろう〉
〈「仕掛けられる」被害者でしかない女性の側に説明責任を問うこと自体が、本末転倒と言わなければならない。説明責任はあくまで「仕掛ける側」にあり、加害者である男性が考えなければならない“男性問題”なのである〉
そう指摘したのは、2006年に出版された『壊れる男たち─セクハラはなぜ繰り返されるのか─』(岩波新書)。著者は、東京都の労働相談に携わり、その過程でセクハラ被害者の相談を受け、加害者とも面談を重ねてきた金子雅臣氏だ。
同書のなかで金子氏は、「加害者であるのに自覚がない男たち」に何人も出会ってきた、という。たとえば、氏が携わったセクハラ事件のひとつは、こんなものだった。
広告会社に勤める女性が、上司の男性から「社員のことで相談がある」と言われて社外の店に行くと、リストラ候補の女性がいること、その女性はそのリストから外していることを告げられる。その後、「恋人はいないのか」などのプライベートの話におよぶが、女性が「遅いので帰ります」と言うと、帰りの車はなぜか山の中に向かった。そこで上司は脇道に車を止めると「いい年をしてわからないことはないだろう」と言い関係を迫ってきた。彼女は必死で拒否をして、上司もしぶしぶ車を発進させた──。
女性にしてみれば、上司から「仕事の相談」と言われれば聞くほかない。だが、上司は「なぜ、そんなことを問題にするんですか」と気にもとめない。金子氏に、その上司はこう話したという。
「男たちが女性ときっかけをつくる時にはよくあることで、大したことではないじゃないですか。「ちょっと相談があるんだけど……」などというのは、相手を誘う場合によくある言い方ではないんですか」
そして、「セクハラじゃないですよ。絶対にそんなことはありえませんよ」と胸を張り、その理由として、部下の女性が「終始明るかった」こと、さらには「あそこまでいったのに、何もしなかったんですよ」という自分の“誠実さ”をアピールしたのだ。
「明るかった」というのは加害者からよく聞かれる声だ。しかしそれは今後も上司と部下という関係をつづけていかなければならないことが念頭にあってのことだ。あるいは、激昂させて行為をエスカレートさせたくないという防衛反応もある。しかし、そうしたことを、加害者男性はまったく想像できない/しようとしないのだ。金子氏はこう指摘する。