こうしたごく当たり前の事実が、百田センセイの頭からはすっかりと抜け落ちているらしい。こんなツルツルの脳ミソで作家を名乗ることに羞恥心を覚えないのだろうか。ましてや、こんなバカが日本の首相のオトモダチで、ネトウヨの間では「愛国者」としてまかりとおっているのだから目眩がしてくる。
繰り返しになるが、漢文なしには日本の歴史も文化も成立しなかったのはもちろん、中国にいちゃもんをつけたいがために「漢文の授業を廃止せよ」と主張するのは、結局のところ、日本の歴史・文化にアクセスするのを禁じてこれを駆逐し、“仮想敵”への攻撃的な意識を形成すべしと言っているのと同じだ。こんなものは「保守主義」でもなんでもない。
ところで百田センセイは、「SAPIO」に寄せたこの“漢文授業廃止論”のなかで、中国の故事「宋襄の仁」を取り上げて〈無用な情けということで、中国では「大バカ者」という意味です。上杉謙信の美談となっている「敵に塩を送る」なんてメンタリティは中国人には通用しません。どんな手を使っても、とにかく勝ちさえすればいいというのが中国の文化なのです〉と得意げに語っている。ちなみに謙信もまた優れた漢詩を残しているのだが、それはおくとして、この大バカ者に別の故事を教えておいてやる。
一般に愚かな行為や人を指す「バカ(馬鹿)」という言葉は、中世から近世にかけて広まったという。その語源は梵語が有力とされるが、俗説のひとつに故事成語「指鹿為馬」がある。
『史記』によれば、秦の始皇帝の死後、丞相の趙高が反乱を企てるにあたり自らの権威を試そうと、二代皇帝胡亥に鹿を馬だと言って献じてみせた。家臣のある者は沈黙し、ある者は趙高にへつらって馬だと言い、またある者は正直に鹿だと言った。その後、鹿だと言った家臣は合法的に処罰された。趙高は大いに恐れられたという。
「中国を偉大な国と勘違いさせる漢文は廃止にせよ!」という妄言を、恥ずかしげもなく「対中政策の秘策」と題して公開してしまう保守論壇。売れっ子の作家センセイに従わざるをえないのか、それとも無教養なネトウヨや首相に媚びているのか。
どちらにせよ“保守の頽廃”と言うしかないが、少なくとも、こういうバカにバカだと誰も言えなくなれば、日本は後戻りのできないところまでいってしまうだろう。ただでさえこの国の政権はいま、国民に「鹿」を「馬」と言わせるための政治をしている。そのことを忘れてはならない。
(小杉みすず)
最終更新:2017.12.01 04:25