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百田尚樹が中国憎しで「漢文の授業を廃止せよ」とバカ丸出し! 右派の大好きな教育勅語も明治憲法も漢文なんですけど…

 もはや反知性主義というよりも、端的に「バカ丸出し」である。

 だいたい、日本の歴史を漢文の存在抜きで語ることなど不可能だ。周知の通り、文字をもたなかった古代日本を記録したのは、古代中国の『漢書』や『後漢書』、『三国志』(のいわゆる「魏志倭人伝」)等であって、言うまでもなく漢文である。

 一方、日本の書き言葉の歴史は、大陸から伝来した漢字を借りて「日本固有の古語」を表したことから始まるのではなく、もともと漢字圏の大陸と外交関係を結ぶために漢文を用いたのが最初といわれる(東京大学教養学部・国文漢文学部会編『古典日本語の世界(二)』東京大学出版)。その後、漢文の訓読法が確立され、仮名が生まれてからも、日本文化のなかに漢文は脈々と受け継がれてきた。

 たとえば、『古事記』は変体漢文(口語の影響を受けアレンジされた漢文)で、『日本書紀』は純正漢文だ。右派が大好きな聖徳太子(厩戸王)の「十七条憲法」も純正漢文である。いずれにせよ、漢文知識がなければ原文を読むことはできない。時代を下って中世でも、漢文は支配者層や学者・知識人層にとって必修の教養であり、公文書に変体漢文を使うことも多かった。たとえるならば西洋におけるラテン語のようなものだ。

 明治に入り、日本が近代化に猛進するなかにあっても、漢文とそのエッセンスは生き続けた。そのひとつが漢文訓読調の文体で、憲法も法文も勅語もこの形をとっている。たとえば、安倍政権や極右論客が復活を熱望する教育勅語(「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ〜」)もそうであり、学生や記者までもが漢文訓読調を用いた。また、森鴎外や夏目漱石など文学者だけでなく、伊藤博文ら政治家たちも漢文・漢詩をこよなく愛したことはよく知られている。

 一方、口語文が台頭するのは言文一致の運動が盛りあがる大正以降で、庶民のなかの漢文の教養は徐々に衰退していった。加藤徹『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか』(光文社)を引用すれば、〈昭和の日本においては、漢文は、すでに「消費財としての教養」になっていた。漢文口調は、気分をもりあげるなど、いわばアクセサリーにすぎなくなっていたのである〉。敗戦時、漢文訓読調の「玉音放送」をラジオで聞いた庶民が、昭和天皇の語る内容を正確に理解できなかったというのはその象徴的なエピソードだろう。そして、その翌年に日本国憲法が口語体で公布されたことで、漢文訓読調は市民の日常生活からほぼ姿を消すこととなった。

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