『MANA』(サイゾー)
AV業界では、人気のあった女優が引退宣言を行うこともなく突如ファンの前から姿を消してしまうことがよくある。そういったケースのなかで多いのが、「親バレ」による引退だ。公式に発表されるわけではないのであくまで憶測の域を出ないが、新作のリリースが突如止まると、ネットでは「親バレしたか……」といった声がたびたび漏れる。
その一方、昨今では自ら「親公認」であると打ち明ける人も。その代表格が紗倉まなだ。彼女は2015年に出版した自伝エッセイ『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)で、18歳の誕生日を迎えた翌日に自らAVのプロダクションに応募メールを送ったことや、ソフトオンデマンド専属の単体女優になることが決まった後母親にAV女優になることを打ち明けると、驚きのあまり「よくわからない子ね」と言われながらも猛反対されることはなかった、といったことを屈託ない筆致で綴っていた。
こんなことから、彼女はAVへの偏見が薄れた新世代の女優としてメディアで取り上げられることも多かったのだが、実は、話はそんな単純なものではなかったらしい。
今月出版されたスタイルブック『MANA』(サイゾー)のなかで、紗倉まなは「親公認」の真相についてこのように綴っていた。
〈よく「家族は認めてくれたの?」との質問を投げかけられることがあります。私の場合、母親に“認めてもらって”はいます。ひとつだけ声を大にして言いたいのは、「母に認めてもらっている」とはいえ、進んで「よし、AVで立派に稼いで来い!」なんて運びではなかった、ということです。本当は普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供を産んでほしいなどの自分が掴んだような幸せを願ったり、もしくは優良企業に勤めて玉の輿に乗ってほしいなどのちょっとした欲を上乗せした希望を、親は子供に抱いているはずなんです。私の母も例外ではありません。それでも、最終的に「元気に楽しく生きていてくれるならいい。職業に貴賤なし」と、深い愛情でしぶしぶ了解してくれました。眠れない辛い夜もきっとあったでしょうが、“親なりの苦しい応援の形=認める”、ということになったのです。
ここをいつも省略して話してしまうから、「納得できない」と批判されるのかもしれませんね〉