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星野源が『逃げ恥』主人公への非難の声に反論!「男が女の誘いを断るなんて、という意見は性のレッテル貼りだ」

 たとえば、男を抑圧する大きな要因のひとつが「男なら仕事に人生を捧げるのが当然」という社会認識であり、人間関係や労働による過剰なストレスや疲労で参ってしまったとしても弱音を吐いて休むことを許さない(少なくとも男たちにそう感じさせてしまう)無言のプレッシャーだ。なぜそのようなプレッシャーが生まれるかといえば、「男ならこうあるべし」という考えを社会が広く共有しており、当の男性本人もそれを内面化させてしまっているからだ。

 こういった男性の生きづらさについて研究する男性学を専門とする武蔵大学社会学部助教授の田中俊之氏は『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(中経出版)のなかでこのように綴っている。

〈臨床心理士のテレンス・リアルは、「男のうつ病の皮肉なところは、うつ病をもたらす原因と同じ要素が、病気を直視させないようにしている」と主張しています。これだけではちょっとわかりにくいので、具体的に説明していきましょう。
 生真面目な男性は、「男らしくなければならない」というプレッシャーを感じやすく、知らず知らずのうちに自分を追い込んでしまいます。例えば、悩みや問題を抱えていたとしても、生真面目な男性は次のように考えてしまうのです。
「男は強くなくてはいけない」「男ならば困難に立ち向かうべきだ」「男なら壁にぶつかっても、一人で乗り越える必要がある」。そして、誠実であるがために、「男らしく」しようと努めていますから、周囲に心配をかけまいと自分ひとりで悩み続けるのです〉

『逃げるは恥だが役に立つ』において平匡は「自分は“プロの独身”なのだから恋愛も結婚も自分の人生には必要ない」と主張する一方、イケメンで女性とのコミュニケーションも上手な風見に対し猛烈なコンプレックスを抱く。そんな劣等感を抱いたのは、自分のなかに芽生えたみくりに対する好意と、それをどうやって扱い表現すればいいか分からないことに困惑しているからだが、平匡はそんな悩みは表にすべきことではないと誰に相談することもなく七転八倒する。

 また、みくりからのセックスの誘いを平匡が思わず断ってしまったのも、彼自身が「セックスは男がリードするもので、10歳も年下の女性にリードされるのは恥ずかしい」という考えを内面化させていたからであり(第8話でそのような経緯が具体的な言葉で説明される)、彼自身が知らず知らずのうちに抱いてしまっている「男ならこうあるべし」という考えは作中を通じて常に彼を苦しめ続ける。

 最終回まで残り数話となったが、彼らは「男らしさ」「女らしさ」というレッテルの呪縛に何かしらの回答を出すことができるのだろうか。この後の展開が楽しみだ。
(新田 樹)

最終更新:2016.12.01 01:25

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