「まつりさんが亡くなった直後、何があったんだろうと昔の仲間と連絡を取りあっていたとき、僕も、電通の人からどうやら失恋が原因らしいという話を聞かされました。彼女の性格からしてそんなことがあるだろうかとも思ったけれど、飛び降りたのがクリスマスの朝だったので、ああ若いからそういうこともあるのかなぁ、と。でも、お葬式で、直前の様子を知っている人たちに詳しく聞くと、恋愛したり失恋したりする時間もなく働かされていたということで、失恋説はウソだとわかったんです。まつりさんとは、彼女が東大合格のテレビインタビューで『将来は週刊朝日の記者になりたい』と言っているのを見て、探し出したのがきっかけでした。以来、『週刊朝日UST劇場』のアシスタントなどのアルバイトをやってもらった。確かに昨年9月にまつりさんが失恋したようなことをツイッターでつぶやいていますが、そんなに深刻な感じはなかった。明るくて、聡明で、頑張り屋さんで。母子家庭だったので高校は授業料が免除される特待生になり、現役で東大に合格。学生時代には国費で中国に留学したり。広告業界の論文コンクールで1年生ながら最終選考に残るほど優秀な人でした。電通に就職が決まって『週刊朝日じゃなくてゴメンなさい』って言われたけど、みんなで本当に喜んだのに。だいたい9月に失恋してそれが原因で12月に自殺するなんておかしいでしょう」
こうした話は、他の知人からも聞こえてきた。なんとも卑劣なやり口だが、実は、電通が社員の過労自殺を隠蔽したのは、今回が初めてではない。今から25年前、若手男性社員の過労自殺に対してもまったく同様の隠蔽工作をしていた。
それは、入社2年目で自殺をとげた大嶋一郎さん(当時24歳)のケースだ。大嶋さんが自宅で自殺したのは1991年8月27日。その後、大島さんの両親は損害賠償裁判を起こすのだが、裁判で明らかになったのは、大嶋さんのあまりに過酷な長時間労働、そして電通の卑劣な責任逃れだった。
両親が起こした訴訟の代理人弁護士である藤本正氏による著書『ドキュメント「自殺」過労死裁判』(ダイヤモンド社)に、その実態が詳しく記録されている。
明治学院大学を卒業した大嶋さんは1990年に電通に入社し、6月にはラジオ推進部に配属された。東京郊外で家族と暮らす大嶋さんだったが、以降深夜に帰宅することが多くなり、次第に帰宅しない日も出てくるようになる。
〈同年(90年)――月末ころから様子がちがってくる。それ以前はいかに帰宅が遅くなっても、翌日の早朝四時から五時には帰宅していたのに、帰宅しない日がでてきた。平成三年(91年)になると、一郎君の帰宅時間は、次第に遅くなっていく。(中略)一郎君の帰宅時間は、夜というよりも朝という状況が続く。午前六時三〇分とか午前七時ころに、ズボン、背広もワイシャツもよれよれの状態で、やつれはてたような疲れた顔で帰宅する日々となる。〉