別に新聞社や書評委員が自分たちの“ご都合”で『カエルの楽園』を黙殺しているのではなく、理由はじつに単純。ふつうの良識をもちあわせていれば、この作品を「文芸作品」とは見なさない。『カエルの楽園』はたんなる「プロパガンダ」であって、どんなに売れていても大川隆法の本が書評に出ないのと同じで、批評に値しないと判断しているだけだ。
本サイトは『カエルの楽園』の書評を載せた数少ないメディアのひとつだが、同書の内容をあらためて紹介すると、寓話だというエクスキューズのもとに、ウシガエルの見立てた中国人や韓国人を「根っからの嘘つきだ」とヘイトスピーチを投げつけたり、安保法制反対派を稚拙で愚かしいカエル、安倍首相と思しきキャラを勇敢なカエルとして描き、挙げ句、最後には平和を唱えた結果、日本人は大虐殺されて国が滅ぶという、「ネトウヨの妄想をお話にしてみました!」という域を出ない作品だ。
なにも本サイトは政治的スタンスの違いから百田氏憎しでこんなことを書いているわけではない。書評家の豊崎由美氏も、「TV Bros.」(東京ニュース通信社)の書評連載で同作を取り上げ、〈げんなりするほど一方的な寓意しかないこんな低レベルな読み物は、とても寓話とは呼べず、たんなるプロパガンダ〉と“メッタ斬り”にしている。
だいたい、政治的には百田氏と同様のスタンス、バリバリの改憲派である読売新聞だって書評を出していないわけで、その時点で新聞社の“ご都合”だの“事なかれ主義”だのとは何の関係もないことがわかるだろう。
しかも、もうひとつ百田氏に現実を突きつけてさしあげると、『カエルの楽園』を“無視する”この姿勢は同書の発行元である新潮社も同じなのだ。
新潮社には、「新潮」「小説新潮」「新潮45」「yom yom」「波」といった文芸誌やオピニオン誌があり、それぞれ書評コーナーが設けられている。だが、これらの雑誌のバックナンバーを目を皿のようにしてチェックしてみても、『カエルの楽園』の書評はただの1本も見つけることができなかった。
それどころか、「『カエルの楽園』を黙殺するとはけしからん!」といっしょになって鼻息を荒くしている当の「週刊新潮」ですら、書評コーナーで『カエルの楽園』をこれまで一度も取り上げていないのである。