これと真逆なのが、動物にたとえる手法である。古典文学でも女性器を「あわび」や「はまぐり」などにたとえる表現は頻出しているが、こちらは植物にたとえるよりも、より生々しさが強くなる。
〈蝶のように開いたラヴィアを捲って、男の凶器がくり返し由美のなかに侵入してきた〉(高輪茂『美人捜査官 巨乳の監禁肉虐』二見書房)
〈鮭肉色の襞の起伏にはうるみが光っていたし、秘口は円くひらききって爛れたような照りを放ち、微かにひくついている〉(北沢拓也『美唇の乱戯』徳間書店)
植物にたとえるのか、動物にたとえるのか、この違いについて永田氏は〈人間は、植物が好きなタイプと、魚や(中略)昆虫や動物が好きなタイプに分けることができるらしいが、作家によって好みがあるのかもしれない〉と綴っている。こういったところから作家のフェティシズムを読み解くことも、官能小説の通な楽しみ方なのかもしれない。
また、官能小説表現においてとりわけ豊かなのが、造語だ。特に、「肉」という言葉に何かをくっつけて新たな言葉を生み出す手法は定番中の定番である。たとえば、この技法を使ったクリトリスの言い換えだけで、本書にはこれだけの数の造語が紹介されている。
〈クリトリス=芽肉 肉芽 肉粒 肉小豆 豆肉 肉突起 肉莢 肉芯 肉真珠 肉のうね 肉頂 肉のつまみ 肉の尖り 肉の宝石〉
こういった造語は、まさに官能小説作家の個性がもっともあらわれるところで、男性器の言い換えとして、「欲棒」をつくった豊田行二、「彼の分身器官」を生み出した館淳一と、その言い換えが作家の看板のひとつとなる。これも、官能小説作家ならではの傾向である。
そして面白いのが、時代の流れによって言い換え表現にも移り変わりがあるということだ。官能小説で描かれる男性器は太く、硬く、大きいのが定石で、現実以上に逞しさを強調される。「巨竿」「火柱」などの表現がそれに当たるのだが、最近は少しずつ変わってきていると永田氏は綴る。
〈逞しく勃起したペニスの表現として、以前は「巨砲」などの用語がよくみられたのに、現在は、誇張はあるにしても抑制の効いた用語が使われる〉
その理由について本書では細かい分析はなされていないが、男たちの草食化が進んでいることや、女流作家も珍しくなくなったことにより、ペニスは大きくて太ければいいわけではないという認識が広まったことなどが要因としてあげられるのだろう。
今後も世相を反映しながら、官能表現は変わり続けていく。そういった変化を分析しながら読むと、また新たな官能小説の楽しみ方が生まれてくるのではないだろうか。
(田中 教)
最終更新:2016.05.22 08:04