しかも、「文春」を読むと、記者がたった一人で人目のないところで恐ろしい目に遭ったように思い込んでいる人も多いが、そんなことはまったくない。実際は直撃した記者だけでも2名、また近くにカメラマンを配置、さらにおそらくは車で待機している者。少なくとも3〜4名の「取材班」でAを訪れているのだ。
夜、照明もない、暗く人目のない時間帯も場所も、何もAが指定して呼び出したわけではなく、記者たちが自らその時間と場所を選んで直撃しているのだ。3人がかりで自宅そばで不意打ちされ、住所も顔も名前も把握され、客観的に考えれば、元少年Aのほうがよっぽど恐ろしかったはずだ。
もうひとつ、「文春」が悪質だったのは、電車に乗っているAを隠し撮りしたグラビアページだ。わざわざ「すぐ隣には男子児童が座る」などと思わせぶりなキャプションを入れ、連続児童殺傷事件を連想させてまるでAがその男子児童を狙ってでもいるかのような印象をつくりあげている。しかし、本文をよく読めば、この男子児童は後から乗り込んできてAの隣に座っただけのこと。250日の総力取材とやらのなかから、男子児童が隣に座ったこの写真をわざわざ選び抜いているのは、ゲスとしか言いようがない。
ようするに、記者の勝手な妄想と煽りで、Aを“異常なモンスター”に仕立て、ひたすら「元少年Aは危ない」「更正していない」「危険」などと印象づけていくのだ。
いや、ひどいのは編集部だけではない。記事に登場する専門家のコメントもひどい。
「我々は6年半かかって彼に矯正教育を施したわけですが、関東医療少年院を出てから十年間は成功していたのです。再犯することなく、賠償金を支払い、年に一回報告を兼ねて遺族に謝罪の手紙を書いていた。
だけど社会の強い逆風の中で疲れてしまったんでしょう。彼は幻冬舎にのせられるようにして手記を出版してしまった。それによってこれまでの更正の道のりが台無しになりました。彼は(パリ人肉事件の)佐川一政氏を師として異端の世界で生きることを決めてしまったのかもしれません」(Aの更正に取り組んだ関東医療少年院の杉本研士元院長)
「今回の文春に対するヒステリックな対応も同様です。こうした行動から少年院での矯正教育が不十分であり、退院後も、専門家が継続的に支援を続ける必要があったと思います」(多くの犯罪者の心理鑑定を手掛けてきたという「こころぎふ臨床心理センター」代表の長谷川博一氏)
「手記出版以降の振る舞いで、医療少年院での『育て直し』は、一般社会に出たら効果がなかったことが明らかになりました」(犯罪者の矯正教育に詳しい五十嵐二葉弁護士)
「彼を犯行に至らしめた性的サディズムは矯正教育によって治療できたのかもしれません。ただ酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文などの異常なまでの表現欲と自己顕示欲という病は、全く治っていないと言えます」(犯罪学が専門の小宮信夫立正大学教授)
そろいもそろって、手記を出版したことをもって、更正していないと断じるのだ。たしかにAが手記を発表したことで、遺族感情が傷つけられたなど、大きな批判が巻き起こった。しかし、手記を出版することは犯罪ではない。