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小保方晴子『あの日』出版で再燃! STAP 報道を改めて検証する(後)

ES細胞へのすり替えは小保方氏ひとりの問題か? 疑惑発覚前、若山教授が「ネイチャー」で語っていたこと

 これに対して、小保方氏は『あの日』で、〈テラトーマ実験の経過観察の期間、私はアメリカに出張しており、管理は他の若山研のスタッフによって行われていた〉と反論している。この記述に嘘はないだろうが、しかし、だとしても作製者が小保方氏だったことに変わりはなく、若山研のスタッフが関わったのはあくまで出張期間の経過観察のみ。その間に小保方氏に無断でマウスをすり替えたり、新たにES細胞を混入させるのは、どう考えても不可能だ。

 また、第一段階の細胞が緑色に発光するOct4遺伝子発現についても、小保方氏は身の潔白を証明できていない。理研の再現実験では、小保方氏はもちろん、彼女に擁護的だった丹羽仁史CDBチームリーダーでさえ、Oct4-GFP発現を確認することができなかった。

 こうしたことを考え合わせると、実験の第一段階の時点ですでにES細胞の混入、もしくはすり替えがあったと考えるのがもっとも妥当性がある。若山氏がSTAP幹細胞やキメラマウスを作製する前に、故意か過失かはともかく、小保方氏がES細胞をSTAP細胞として若山氏に提供し、幹細胞やキメラマウスをつくらせた、その可能性は極めて高い。

 ただし、ひとつ大きな問題が残る。それは、小保方氏がES細胞を混入もしくはすり替えた実行犯だったとして、はたしてそれをひとりでこっそりやれたのか、という問題だ。

 小保方氏にはES細胞をつくる技術はなく、また、マウスの遺伝子背景などを読み解く知識はなかった。そういう人物がどうやって、冷凍庫に残っていたES細胞を見分け、すり替えに利用することができたのか。

 また、小保方氏がES細胞にすぎないものをSTAP細胞として若山氏に提供していたのだとしたら、若山氏はなぜその正体に気づかなかったのか。実際、小保方氏も『あの日』でこう書いている。

〈STAP細胞は増殖能が低く、それがSTAP細胞の特徴の一つであり、若山先生も熟知していたはずである。もし私がES細胞をSTAP細胞と偽って渡していたのなら、もともと増殖している細胞が渡されていたことになり、若山先生が観察した、増殖能の低いSTAP細胞からの無限増殖する幹細胞への変化は起こるはずがなく、気づかないはずはないのではないだろうか。〉

 しかも、若山氏はたんに「気がつかなかった」だけではない。当初、若山氏は、STAP細胞を小保方氏とは別に「独自に」つくることができたとし、ES細胞とまったく違う特性を「自分が」発見したとまで明言していた。

 このことを知ったのは、まさに小保方氏の手記『あの日』がきっかけだった。同書によると、疑惑が本格化する前の14年2月、若山氏は「ネイチャー」誌のインタビューに応じ、「私が自分で実験して発見したんだ。絶対に真実だ」と発言していたという。にわかには信じられなかったが、ネット版「ネイチャー」を直接、読んでみたところ、これは事実だった。

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