川島なお美オフィシャルブログ「『なおはん』のほっこり日和」より
〈抗がん剤や放射線治療に見向きもしなかったのも先生の影響かもしれません。でも、がんは放置さえすれば本当にいいのでしょうか?〉
今年2015年9月に54歳と若くして胆管がんで亡くなった川島なお美が、ベストセラー『患者よ、がんと闘うな』などの著書をはじめ“がん放置療法”で知られる近藤誠医師を批判していたことがわかった。
たしかに、川島は近藤医師からセカンドオピニオンを受けており、そのことが論議を呼んでいた。もともとは近藤医師自身が「文藝春秋」11月号で川島が2年前に近藤医師の外来を訪れ、がん治療のセカンドオピニオンを受けていた事実を明らかにしたのだが、その近藤医師のセカンドオピニオンの内容に対して医学界から「近藤氏の診断のせいで、手術を遅らせ、治るチャンスを逸してしまった」という批判の声が上がったのだ。
だが、川島自身も近藤医師の診断に怒りをもっていたようだ。12月に発売された川島の遺作『カーテンコール』(川島なお美・鎧塚俊彦/新潮社)は闘病中の手記をまとめたものだが、近藤医師のセカンドオピニオン外来を受診した様子も克明に描かれているのだ。
13年8月の精密検査で腫瘍が見つかった川島が近藤医師のもとを訪れたのは、翌月の9月のこと。
〈この人だったら命を預けてもいい、そう思える医師に出会えるまで手術はしないと決めて、納得するまでセカンドオピニオンを受け続け〉ることにした川島は近藤医師のセカンドオピニオン外来も予約する。
近藤医師の著書を読んでいた川島は、その理由をこう書いている。
〈そもそも先生の著書で目からウロコだったのは、「ほとんどのがんはがんもどき。早期発見などで慌てて切るとロクなことはない。生活に支障なく元気ならば様子を見る、放置する、余命3カ月と言われた患者さんも、無駄な治療をせず放置して、何年も長生きしたケースを見てきた」というもの。こういう考え方もあるんだと、感心しました。そしてすぐさま先生に「ご意見を伺いたい!」とアポを取ったのでした〉
しかし、近藤医師の診断は予想とはまったくちがうものだった。