だが、「週刊新潮」の記事では、映画関係者がこの人選にこう疑問を呈している。
「そもそも監督以外は、健さんと縁が深いとは言えない方々。『近親者』と事務所が言うなら、たとえば、健さんが弟分として可愛がっていた(小林)稔侍さんが入っていないというのはなぜか。あるいは、岡田さんは健さんと絶縁状態だったんですから、そんな席に呼ばれるはずがありませんよ」
ようは、密葬出席者は高倉の“遺志”ではなく、何らかの思惑を持った養女Tさんの意思によるものだったことが示唆されているのだ。
実際Tさん自身、前出の「週刊文春」1月1・8日特大号で自らこんなことを語っていた。
「病気になってからではなく、死後のことは『Tさんに任せる。僕のこと、よく知ってるでしょ』と。責任を痛感しております」
病床にあった高倉を外部から遮断させ、肉親にも死を伝えない。そして高倉の死後には、“彼の遺志”を全面に押し出し、周囲をコントロールする。さらに葬儀、そして遺産の独占———まるで故やしきたかじんを巡る「殉愛」騒動に酷似しているかのごとき事態だが、“疑惑”はこれだけではなかった。それが遺骨と墓の問題だ。
これは「週刊新潮」だけでなく「サンデー毎日」(毎日新聞出版)11月22日号でも取り上げられているが、高倉は生前の1972年に神奈川県の鎌倉霊園に墓地を購入している。ここには元妻である江利チエミとの間の“水子”が供養されている霊園でもある。
〈ただ、そんな健さんの墓所では、いまだ納骨された気配がない〉(「サンデー毎日」)というのだ。
さらに「週刊新潮」では、墓地を巡る奇妙な事実も記されている。
今年春、生前の健さんを24時間サポートした「チーム高倉」を中心とした有志がこの霊園にファンも参ることができる供養塔を作れないかと相談したが、そこで霊園側から「管理費が滞納されている」という意外な答えが返ってきたという。そしてこんな疑問が呈される。
〈(これまで通り利用するなら)名門霊園ゆえに1平方メートル100万円を超すカネが必要となってくる。そもそも養女が管理費の支払いを忘れただけなのか、あるいは墓など不要ということなのか〉