島田氏が1983年、大学在学中に発表し、芥川賞候補作となったデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』(講談社文庫)は、高度資本主義の社会のなかで大文字の目的を失った左翼を「サヨク」とカタカナにしてその変質を表現した。いま、島田氏はサヨクの存在価値を〈主流派にはならないかもしれないが、おかしいと思うときに声を上げ〉ることにある、と書く。自由を重んじ、個人主義であるサヨクはなかなか連帯できないものだが、いまこそそれを乗り越える必要があるのだと。なぜなら、この先、未来からこの2015年を振り返ったとき、「なぜあのとき声を上げなかったのか」「間違った方向を正すことができなかったのか」と後悔しても、もう遅いからだ。
今回の安保法制に反対するうねりのなかで、奇しくも島田氏と同様に「ポストモダン文学の旗手」と呼ばれた作家・高橋源一郎氏も、民主主義とは何かを市民に問いかけた。本稿で取り上げた『優しいサヨクの復活』は、高橋氏よりももっと直接的に政治へ斬り込んだ一冊となっているが、島田氏は同書でこのようにも嘆いている。
〈このような至極真っ当な正論をアウトサイダーの小説家が呟かなければならないこと自体、日本は末期症状を呈しているのである。政治がバランスよく機能していれば、小説家は異端でいられるし、安心してコトバの多様性を拡大できるのに〉
いま、わたしたちの目の前に広がっている光景は、まさにディストピア小説の現実化だ。島田氏が訴えるように、安倍政権の退陣を迫りつつ、市民が声を上げてこの末期症状の景色を変えなくてはいけない。
(水井多賀子)
最終更新:2015.11.08 11:48