前出の杉田は「すばる」で、そもそもオールナイトライヴをやろうとした動機に、長渕の反安倍政権の思いがあったと分析している。
〈東日本大震災と福島第一原発公害事故のあとの、激しい憂国の思い。アメリカに軍事的・経済的・文化的に追従する日本という国の救いがたさに対する怒り。憎悪。愛。
富士山の霊力を通して、腐りきった日本という国を甦らせること。
一夜限りのオールナイト・ライヴを、そのための巨大な祭りの場、神がかった祭りの場にすること〉
しかし、かといって長渕はけっして左翼ではない。こういった反戦思想の一方で、日の丸の旗を打ち振り、「日本バンザイ」と連呼するようなマッチョ右翼な体質があるのも事実だ。いったい何がそういう長渕を安倍政権批判に向かわせているのか。これについても、杉田が鋭い考察をしている。
〈長渕は一貫して、日の丸を背負いながら、俺は右でも左でもない、ただ自分の気持ちに真っ直ぐでありたいだけだ、と主張してきた。イデオロギーではない。大切なのは、「仲間」であり、ある種の拡張された家族主義である。そして長渕の家族主義を支えているのは、国籍や国家への帰属であるよりも、「この国の土のうえに生きている」という国土の感覚であり、庶民的な「土」の感覚だ。家族であるためには、血統や血縁は必ずしもいらない。それはトポス(国土/郷土)に根差すからだ〉
そういえば、長渕の新曲「富士の国」の歌詞の一節にはこんな一節がある。
〈戦いの歴史ばかりでうんざりだ/暴力のいしずえに国家などありゃしねえさ/たとえ、ひしゃげた日の丸の下でも/「家族」という土を踏みならして生きてきたんだ/あぁ床をはうほどの汗をひたたらせ/親父もお袋も働いてきたんだ/大地に眠る先祖の生きた骨たちよ/カタカタと打ち震えている〉
この中の〈「家族」という土を踏みならして生きてきたんだ〉というフレーズは、まさしくそれを体現したものだろう。
祖先、家族、そして土へのこだわりゆえの反戦と反原発──。そういう意味では、長渕こそが〈日本的自然〉を守ろうとしている本物の〈右翼〉というべきだろう。