誤解がないよう補足しておくが「小さな声」を聞くというのは、警察・司法当局の情報を遮断し、被害者の都合の良いようにストーリーを作り上げることを意味しない。清水は実際に取材を積み重ねるうえで、利害関係を持った立場からの情報はかえってジャマになることもあるため「頑張ってなるべく排除する」という。悲しいが、相手に騙されることもあるのが取材の現実なのだ。
「例えば、『隣に住んでいる騒音おばさんがうるさくてしょうがない』という不満を持つ住民による対立事案があるとする。昔から別の問題で対立関係にあったとして、苦情を言う住民だけに取材をして、おばさん自身に当たらなかった場合それはわからない。だから紛争モノを扱ううえでは『反対当事者の取材をせよ』というのが基本原則。ところが、ちゃんと取材をしていないと実は『反対当事者』がいたことにすら気づかないまま取材は終わる。対立の構図を作って煽っているのは当のメディアだったりする。あるいはマスコミに扱ってもらおうと思って自分から接近してくる人もいて危険。例えすぐバレるようなことでも、取材しないとわからないからね。要は、又聞きという時点で情報の信頼度がすごく落ちているわけ。
又聞きは、『警視庁によれば』とか『厚生労働省によれば』というスタイルも含めれば実は多い。しかもそれを誰が言っているのは書かない『捜査関係者によると』なんていう得体の知れない表記になる。でも、又聞きの相手が、実は自己の利害のために適当なことを言っていたなんてケースも多い。発表報道ばかり担当してきた記者はこういうことを疑問にも思わなかったりする」
警察・司法発表、事件関係者の言い分のいずれかに依存するのではない。自分の取材と分析を交互に積み重ね、それを受けて「書くかやめるか」を決断する──この取材・分析・決断という3つのプロセスを清水はひたすら繰り返す。
「事件の全体像が見え始めても、関係者が死んでいたり、取材拒否者がいたり、足りないピースは必ず出てくるんだよね。どんなに追及しても、絶対に埋まらない部分はある。穴の空いた絵を皆さんにお見せするかどうか、というのが最後の決断の分かれ目になる」
こうした孤独とも呼べる取材プロセスを積み重ねてきた清水が、もう一つ闘ってきた相手がある。「記者クラブ」だ。(後編へ続く)
(インタビュー・構成 松岡瑛理)
最終更新:2015.09.16 03:21