『家族という病』(幻冬舎新書)
元少年A『絶歌』の出版をめぐる議論のなかには付け焼き刃な正義も多かったが、その正義が、彼の家族に対してまで派生していく様は異様だった。朝のワイドショー『白熱ライブ ビビット』(TBS系)で夜回り先生こと水谷修氏が「加害少年の親を裁くべき」と放言していて卒倒した。もちろん、そこに何の法的根拠などあるはずもないのだが、司会者や彼以外のコメンテーターも、その意見に反論することはしない。「こうなったら親を裁け!」という彼の主張は、社会の空気を代弁していたのだろうか。
「東洋経済ONLINE」は、ミセス・パンプキンなる書き手による「『絶歌』元少年Aの犯罪、原因は母親にあった?」という記事を掲載した。タイトルとして煽っただけかと思いきや、文章を通読してみても、「Aの親は、驚くほどに子供の異変に鈍感でした」「Aはいつも無表情で平然とウソをつくので、疑うのは難しいことなのですが、この時点でどうにかしていたら、淳君の事件は防げました」と、Aの家族関係をいたずらに分析し、原因は母親にあったと断言してみせるのだった。
このところ新書ランキング上位に入り続けている下重暁子『家族という病』(幻冬舎新書)を遅ればせながら読んだ。下重は、神格化された家族など欺瞞であり、誰しも「枠の中で家族を演じてみせる。父・母・子供という役割を」としている。「家族団欒という幻想ではなく、一人ひとりの個人をとり戻すことが、ほんとうの家族を知る近道ではないか」との論旨にはひとまず頷かされる。「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族の話はしょせん自慢か愚痴」「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」という刺激的な見出しが並ぶ本書に対しては、ネット書店のレビューでは、伝統的な家族像を唯一の選択として信じ込んできた人たちからの酷評が並んでいる。
下重が、多様化・複雑化する家族形態に対して丁寧に目を向けているわけではない。個人的な体験からのみ叱り続けており、さすがに説得力に欠ける部分も多い。個人的体験から叱り続ける、といえば、同じ幻冬舎新書で『人間にとって成熟とは何か』を記した曽野綾子だが、「出産した女性は会社を辞めなさい」といった妄言が教えてくれるように、彼女は旧来の家族観をどこまでも信奉している。その説教口調がウケたわけだが、下重は同様の説教口調を家族観の打破に使っている。