こう答えた後、櫻井氏たちは立憲主義について次のように解説する。
〈……近年、憲法はもっぱら国家権力を縛るものであって、国民を縛るものではないという主張が多く見られます。その主張からは、国民の憲法尊重擁護義務は生じないという主張が導かれ、また一面的な立憲主義を強調する立場から、憲法に義務規定を設定すること自体が疑問だという見解もあります〉。
2012年に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」(以下、「自民党改憲草案」)の第102条には、〈全て国民は、この憲法を尊重しなければならない〉という憲法尊重義務が明記されている。櫻井氏らは、こうした「自民党改憲草案」にお墨付きを与えようとしているようだが……。残念ながら、その考え方は根本的に間違っている。
立憲主義とは、国民が制定した憲法によって国家をコントロールするという原理原則である。近代国民国家を名乗りたければ、この立憲主義に基づいて国家を運営しなければならない。
これに対し櫻井氏と民間憲法臨調は、国家のみならず国民も憲法を守れ! それこそ本当の立憲主義だ! と、いっているわけだ。こうした立憲主義の理解は、櫻井氏ら一部の特殊な人々にのみに通じる極めて珍妙なものである。国民は法律による強制は免れない。が、憲法の遵守を強制されるということは、いかなる理由においてもあり得ない。
こうした「珍妙な立憲主義」は「自民党改憲草案」の背後にある特殊な憲法観と同一のものだ。この草案は発表された当時から様々な議論を呼び、現在では改憲派、護憲派の立場をこえて「悪い改憲草案の見本」という評価が定着している(例えば、小林節・伊藤真『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす』合同出版など)。
「自民党改憲草案」の大きな問題点の一つは、「国民の憲法尊重義務」「家族条項」「公益及び公の秩序」など、国民を縛る規定が多く含まれていることだ。ここから透けて見えるのは、「俺たちが決めたルールで国民をコントロールしたい」という、反立憲主義とも言うべき驚きの憲法観である。櫻井氏たちの立憲主義が珍妙なのは、こうした自民党議員たちの特殊な憲法観を無理やり正当化しようとしているからだろう。