じつは、先日発売されたばかりの徹子の著書『トットひとり』(新潮社)には、この飯沢氏との出会いが綴られている。しかも、それはとても感動的な物語として……。
そもそも徹子は、NHK専属のテレビ女優第一号。同書によれば、この募集には6000人以上が受験したが、徹子は演技の素人で筆記試験も25問中5問しかできなかった。だが、「テレビジョンという新しい世界の俳優は、あなたみたいな何もできない、何も知らない、言い換えると、無色透明な人が向いているかもしれない」という評価を受けて採用されるのだ。
しかし、いざ現場に出ると、徹子は「目立つ」「普通じゃない」と罵られた。〈「ヘンな声だ」とか、「喋り方を明日までに直せ!」とか、「みんなと同じにできませんか?」などと、先輩にも言われ続けた〉といい、番組を降ろされてばかり。そんなとき、〈私にとって、とても大切な事が、こんな形で起きた〉。それが飯沢氏との出会いだった。
時は1954年、『ヤン坊ニン坊トン坊』というラジオドラマの制作にあたり、大がかりなオーディションが開かれた。脚本を担当した飯沢氏が「大人の女性で子供の声を出せる人がいる筈だ」と主張し、オーディションを行うことになったのだ。ここで徹子はトン坊役に見事、合格。が、これまでのことを考えると、合格しても降ろされるのではないかと徹子は心配になった。そこで、徹子は初対面の飯沢氏に、挨拶もしないまま気持ちを訴えた。
「私、日本語も喋り方も歌い方もヘンだとみんなに言われています。個性も引っこめます。勉強して、ちゃんとやりますから」
すると、飯沢氏はこう返したという。
「直しちゃいけません。あなたの喋り方がいいんですから。どこもヘンじゃ、ありません。そのままで、いて下さい。それが、あなたの個性で、それを僕たちは必要としているんですからね。心配しなくても大丈夫。いいですね? 直すんじゃ、ありませんよ。あなたの、そのままが、いいんです!」
この飯沢氏の言葉は、徹子の胸に深く突き刺さった。〈こんな言葉は、NHKの誰一人、それまで言ってくれたことがなかった〉と述べ、そのときのうれしさをこう綴っている。
〈私はその後、何度も何度も、飯沢先生の言葉を思い出した。いくら呑気者で元気な私でも、「邪魔」とか「帰ってもいいや」とかばかり言われ続けていたら、まともなことを、何ひとつできない大人になっていたかもしれなかった〉