そして、弁当づくりをふくめた家事は女だけの仕事ではない、とカツ代さんは折に触れ述べていた。エッセイ集『カツ代ちゃーん!』(講談社/2004年)では、弁当づくりの胸の内を、こう綴っている。
〈夫も食べることが好きで、時々は料理も作りましたが、わたしがあまりにも料理好きだったので、一手に引き受けてしまいました。子どもが生まれないうちは忙しくてもたかがしれてます。でも、子どもが小さいときや子どものお弁当を作っていたころ、ふと、思いました。
「なぜわたしばっかり、こんなに朝早く起きて、毎日お弁当を作るんだろう。彼はなぜしないんだろう」
彼はきっと作れないよな……。すぐ答えを自分で出してしまう。
本当はもっと夫にやらせなきゃいけなかったと思います。いくら愛情や理解があっても、男の人は料理の技術が伴わなければいけないと思ってるんです〉
また、先日発売された作家・生活史研究家の阿古真理氏の著書『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書)には、カツ代さんのこんな発言が紹介されている。
「食の基本はやはり家の料理です。でも、必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません。(中略)誰でもいいから家の人がおいしい料理を子どもに作ってあげることです。それが子どもの記憶にしっかり残るんです」(ウェブサイト「学びの場.com」掲載インタビューより)
カツ代さんがこのような発言を繰り返してきた理由を、阿古氏は1979年に自民党が発表した「日本型福祉社会」という論文にあるのではないかと見る。
〈(論文では)家事や育児、介護を女性が担うことで、夫が仕事に専念できるようにするのが日本的な福祉国家だと論じた。小林カツ代が、誰もが料理できるようにと訴えるのは、男尊女卑の価値観を温存させようとする政府に対抗する価値観を示す側面もあったのではないか〉
その時代から約35年が経ち、自民党は経済成長の行き詰まりと少子化に音を上げ、いまさら「女性の活用」を謳いはじめた。だが、女に家事も育児も介護も押し付けたいという本音が変わっていないことは、既報の通り現在の安倍内閣の女性閣僚や政治家たちの態度を見ればあきらかだ。