たとえば、料理研究家である故・小林カツ代さんの著書『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』(主婦と生活社/1984年)には、こんな記述がある。
〈最近、幼稚園児のおべんとうを、何十と写真で見る機会を得ました。しばし絶句……。なんといっていいかわからないとはこのこと。まさかァ! うっそォ!と叫びたいほどだった……〉
ウインナーでつくったタコはもちろん、ゼラチンで固めたゼリーのおかずに、ケチャップで魚のウロコまで再現した大きなハンバーグ。カツ代さんが見た弁当の描写を読むと、現在のキャラ弁に通じる文化がすでに80年代にはあったことがわかるが、これをカツ代さんは〈なぜ幼稚園の子のおべんとうは、こう次々と奇妙な、ひねくりまわしたものになるのでしょうか? なぜ、それが母親の愛情なのでしょうか?〉と疑問を呈する。
〈ある幼稚園の園長さんの話というのが、新聞に載っていました。園長さんの心に残っているすばらしいおべんとうとは、桜の季節にはピンクのそぼろでそれを表し、ほかの時期にも季節を表すような絵になっていた……というものでした。こんなことに感動を覚える園長さんもいるのです。いったい、食べものをなんと考えているのかと、ここでも思わずにいられません。絵をかくのも飾りたてるのもけっこう。でも、それがベストではありません。そういうのが愛を込めたおべんとうだと、年配者がしたり顔で若い母親にいってもらっては困ります〉
そして、カツ代さんはこう断言する。
〈ソーセージを切り刻んでタコのハッチャンを作ったり、おにぎりを人の顔に見たてたり、食べもので絵をかいたりすることがおべんとうの必須条件ではありません。それらは、はっきりいって母親の趣味です〉
弁当を飾り立てることが子どもへの愛情ではない──。カツ代さんは〈切り刻んで細工しているひまがあったら、ほかにもう1品や2品作りたいもの〉という。ここで誤解をしてほしくないのだが、カツ代さんは世の母親たちに“伝統的で正しい食生活を!”などとケーモー的に説教しているわけではない。むしろ積極的に布教したのは、いかに忙しいなかでおいしいものをかんたんにつくれるか、という料理術のほうだ。