さらにつづけて同じ日の日記には、知り合いの小さな子どもに「好きになっちゃった」と言われたことを綴り、〈告白嬉しかったよ。忘れないよ。でも俺好きな人いるから、ごめんねって言っちゃったけど〉と書いている。が、翌日22日には、
〈終わりなら終わりってわかりたい。力を注いでいいなら注ぎたい。全力で。誰のためにも、誰の幸せにもならないことに、このただでさえ小さな、俺の全力は使えない。〉
とも述べている。これが吉高との関係をさしているのかは不明だが、もしそうなのであれば、この時期には別れるかどうかで揉めていたのかもしれない。
ただ、ツアーも終盤にさしかかった6月10日には、〈好きだなぁと思う。好きで好きで、たまらないなぁと思う。とっても愛しくて、他の人に伝えたくなる。でも独り占めしたくなる。相反するようで、矛盾しない。幸せだなぁと思う〉という文章も。このように、ほとんどの恋愛がそうであるように、ふたりの恋愛も浮き沈みが激しかったようにも思える。
しかし、野田の日記を読んでいて気になるのは、彼のナイーブさ、あるいは天然さだ。〈生まれてきたから死ぬしかねぇじゃん。こんなことで月に一回くらい僕は激しく落ち込む。悲しくなって、なにも手につかなくなる。やる気が起きない〉というような記述からは、いかにもミュージシャンらしい繊細さが感じられるが、感性が敏感すぎるのか、思考があちこちでスパークするのだ。
たとえば、あるときは“政治家は金の亡者”と言い、〈そもそも、じゃあなぜ政治家は偉いのか。それは政治家が何をするのかに非常に大きく関わってくる。それはずばり『立法』である〉と三権分立について解説。またあるときは、アメリカの自由と日本の自由を歴史的に比較したかと思えば、突然、〈おっぱいフェチ。脚フェチ。おしりフェチ。二の腕フェチ。うなじフェチ。お腹フェチ。ジャンルは細分化されるね〉となぜかエロの話題に。
とくに驚かされるのが、ある日の日記。愛車の話からエコブームに話題が移り、さらにiPhoneのヒットの裏側に中国の工員たちの劣悪な労働環境があることなどを指摘し、〈この冬、家の暖房が壊れた〉とエアコン修理の話に着地。この日記は17時に書き始めたとあるが、最後には〈ちょっと待て。日記を書いてたら朝の4時だ〉と綴っている。もしかして、約12時間もかけて日記を書いていたの?と心配になってしまう。いやはや驚異的な集中力なのか、それとも凄まじいぼんやりさんなのか……。