絶好調若手論客の古市憲寿氏が“ブス”を差別!?(「Amazon.co.jp」の古市憲寿:著者略歴ページより)
「若者論」の代表論客として今やメディアで引っ張りダコの社会学者といえば、古市憲寿だ。格差社会に伴う若年層の不幸な状況が問題視されるなかであえて「若者は幸福」と語り、とりわけ2010年代、ニュースや討論番組に頻繁に出演するようになった。しかし、その言動をつぶさに見て行くと首をかしげたくなることも多い。昨年彼をめぐってとある炎上騒動が巻き起こったが、それに対する古市くんの「言い分」がはっきり言ってヒドイので紹介したい。
事の発端は昨年10月13日、古市くんがTwitterで「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う」とツイートしたことだった。これに対しネット上で、
「オマエはどのツラ下げてテレビ出てんの?」
「『顔の造形がありありとわかって辛い』などと公然とツイートする、あなたの心の造形がありありとわかって辛いです」
などと批判の声が殺到。本人が当該ツイートを削除する事態へと発展したのだ。
騒動から半年以上が経ち、古市くん本人がツイートの意図などをなぜか今になって釈明している(「『ありのまま』という言い訳」/「新潮45」2015年4月号/新潮社)。しかし、その内容は非常に粗雑だ。何より絶句させられるのは、彼の開き直りがその実「容姿差別」への明白な加担になっていることである。
順を追って内容を見て行こう。原稿は、発端となったツイートがネットニュースなどで「ブスは整形しろ」とまとめられたことに対し「誰をも『ブス』と呼んでいないし、『整形しろ』なんて勧めてもいない」とふてくされた出だしから始まる。その後、昨年『アナと雪の女王』をきっかけに流行語になった「ありのままで」というキーワードが持ち出される。個人が「ありのまま」から抜け出して、身分や職業を自分で選べるようになった近代社会でも、なぜか学校空間ではメイクや染色が禁止され「ありのまま」であることが求められる。実際の社会では建前に反した「容姿差別」が存在するにもかかわらずおかしいのではないか、と古市くんは指摘する。
問題なのはここからだ。では差別を否定するのかと思いきや、なんと「法律的にも人を『見た目』で差別することは認められている」と仰天の一文が続くのだ。
「日本には、人を容姿で差別することを禁じる法律はない。職業安定法や、男女雇用機会均等法には労働者を募集・採用する時に容姿を基準にしてはいけないという旨の行政解釈もあるが、法律として明文化されているわけではない。要は、企業が『見た目』で人を採用しても法律違反になることはないのだ」